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井上堯之バンド
日本のロックバンド (1971-1980) ウィキペディアから
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井上堯之バンド(いのうえたかゆきバンド)は、井上堯之をリーダーとするバンドグループ。テレビドラマ『太陽にほえろ!』『寺内貫太郎一家』『傷だらけの天使』などの音楽を担当した。
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メンバー
再結成時のメンバー
元メンバー
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概要
1971年2月1日に、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズの元メンバーで結成されたスーパーグループ「PYG」から発展した。
1972年に、PYGのリードボーカルである萩原健一が主演のテレビドラマ『太陽にほえろ!』がヒットし、萩原の俳優としての評価が徐々に高まると、萩原が参加できる時はPYGとして、参加できない時には、もう一人のリードボーカルである沢田研二を前面に出した形で沢田研二と井上堯之バンド(または井上堯之グループ)として活動するようになる。
井上堯之バンドの代表曲「太陽にほえろ!メインテーマ」や同ドラマのサウンドトラックも、レコーディング時はPYGとしてレコーディングされ、マスターテープのラベルやトラックシートにはPYGと明記されている。
1975年9月から1976年10月まで井上堯之ウォーターバンドという名義で活動していた[1]。
略歴
PYGは、1972年11月21日に発売したラストシングル「初めての涙」を最後に、自然消滅の形で終焉を迎えた。沢田は本格的にソロシンガーへ転向、萩原は俳優活動を本格化させ、残りのメンバー、井上堯之(ギター)、大野克夫(オルガン)、岸部修三(現岸部一徳)(ベース)、原田裕臣(ドラムス)の4人で井上堯之バンドとして始動する。
主に、沢田のバックバンドや、萩原が出演する作品の音楽を担当。沢田が第23回NHK紅白歌合戦(昭和47年)に初出場した際にはザ・いのうえバンドとしてバックバンドを担当し、これが、歌手が専属バンドを率いる最初のきっかけとなった。沢田との結びつきは非常に強く、PYG時代と同じように、沢田と井上堯之バンドをひとつのロックグループという意識で活動していた。
内田裕也のGSバンド「ザ・フラワーズ」のボーカルだった麻生レミや、ガロなどのバックバンドを担当することもあった。
テレビドラマ『太陽にほえろ!』『寺内貫太郎一家』『傷だらけの天使』『悪魔のようなあいつ』『前略おふくろ様』など、1970年代を代表する作品の音楽を担当。沢田主演の映画『炎の肖像』(日活、1974年公開)では井上堯之バンドの演奏シーンを見ることができる。
メンバーチェンジも行われ、1974年には元「ジプシー・ブラッド」の速水清司が加入し、ドラムスも田中清司に交代。1975年6月にはベースの岸部が脱退し、俳優に転向している。
1980年1月24日、『沢田研二日劇新春公演』の最終日に、井上堯之バンドは解散した。解散後は大野克夫が率いる大野克夫バンドが結成され『太陽にほえろ!』の音楽担当を引き継ぎ、沢田の新バックバンド「オールウェイズ」には、鈴木二朗と羽岡利幸が残留した。
再結成
萩原が1974年に主演したテレビドラマ『傷だらけの天使』が、1997年に豊川悦司らの主演でリメイクされ、そのサウンドトラックを担当するために井上が若手ミュージシャンを集め、井上堯之バンドの名で再結成したが、オリジナルメンバーが井上本人のみであり事実上の再結成ではない。
2003年に萩原が13年ぶりのコンサートツアーを開催した際にバックバンドを務めたメンバー(速水清司、ミッキー吉野ら)と井上が、井上堯之バンドとして再結成ライブを行い、客席に来ていた沢田をステージに呼んで「時の過ぎゆくままに」を歌った。この時もオリジナルメンバーは井上と速水のみであるが、ミッキー吉野はGS時代には「ザ・ゴールデン・カップス」のメンバーであり、また1975年にはゴダイゴの前身バンドである「ミッキー吉野グループ」として井上堯之バンドとともに沢田のツアーバンドを務めたこともあるなど、1997年に再結成した時よりは1970年代当時の井上堯之バンドにゆかりのある人物が集まった。
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ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
すべてポリドール・レコードより発売
サウンドトラック
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関連項目
脚注
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