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戸倉緑子
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戸倉 緑子(とくら みどりこ、1936年 - )は、日本のファッションモデル。1956年のミス・ワールド・ジャパン(ミス・ワールド日本代表)である。1951年に始まったミス・ワールドに日本が初めて送った代表であり、世界大会で第4位に入賞した。これは現在(2021年4月)に至るまでミス・ワールド・ジャパンとして最高順位である。
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来歴・人物
1955年からFMGに所属し、ファッションモデルとして活動[2]。
1956年9月、20歳のときミス・ワールドの日本大会に東京都代表として出場し[1]、初代のミス・ワールド日本代表に選ばれた[3]。
同年10月にロンドンで行われた第6回ミス・ワールド世界大会(ミス・ワールド1956)に日本代表として初めて参加し、第4位入賞した。BOACの故障で荷物の到着が7日も遅れ、毎晩同じ着物でパーティーに出なければならず、5日目には泣き出してしまったという。この年の大会に参加したのは24か国で、日本は中東を除くアジアで唯一の参加国であったが、身長165cm、体重54kg、バスト85 cm、ヒップ90 cmの体格に53 cmの細いウエストというプロポーションは水着審査で高い評価を得た[2]。
その後もファッションモデルとして活動した[2]。1961年10月22日、「ウールフェア」[4]の最後を飾るイベント「1961ウールファッションショーとウールヒットパレード」に出演。松尾和子、ノーメン西本、渡辺美智子、スリー・バンビーズ、大野喬とナイト・シックスが歌唱を披露している[5]。1964年8月にはシドニーを訪れ、日本のシルク製品を着てアピールした。また、伊東絹子とともにシドニー・オペラハウスで蝶々夫人の一節を披露した[6]。
フィルモグラフィ
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脚注
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