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戸沢正諶

江戸時代の藩主 (1720-1765) ウィキペディアから

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戸沢 正諶(とざわ まさのぶ)は、出羽新庄藩の第5代藩主。

概要 凡例戸沢 正諶, 時代 ...

生涯

享保7年(1722年7月11日(『寛政重修諸家譜』では享保5年(1720年))、第3代藩主・正庸の四男として新庄で生まれる。元文2年(1737年)、父の隠居により兄の正勝家督を継ぐと、兄から7000石を与えられ、寄合衆に列せられた。延享2年(1745年8月13日、兄の養子となり、同年の兄の死去により家督を継いだ。10月18日に従五位下、上総介に叙任された。

宝暦5年(1755年)、積雪の被害で藩の被害が大きかったため(宝暦の飢饉)、幕府から3000石を借用して再建費用に当てたが、そのために幕府から藩政が良くないとして、処罰としてしばらく出仕を止められた。明和2年(1765年)9月20日に死去した。享年44(または46)。跡を長男の正産が継いだ。

系譜

父母

正室

側室

  • 心涼院

子女

関連項目

  • 新庄まつり - 宝暦6年(1756年)、飢饉により多くの餓死者を出したことから、領民に活気と希望を持たせると共に五穀豊穣を祈願するため、新庄城内の天満宮の祭典を領民挙げて行ったことが起源。

脚注

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