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戸沢正保
日本の教育者・英文学者 ウィキペディアから
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戸沢 正保(とざわ まさやす、1873年(明治6年)6月9日[1] - 1955年(昭和30年)3月12日[2])は、イギリス文学者。東京外国語学校校長。姑射の号でウィリアム・シェイクスピア作品の翻訳を行った[3]。
経歴
茨城県に元水戸藩士・菊池庸の二男として生まれ、戸沢正之の養子となった[1]。1899年(明治32年)に東京帝国大学文科大学英文科を卒業し、大学院に進学した[1]。1902年(明治35年)に山口高等学校教授となり、1907年(明治40年)からは第五高等学校教授を務めた[1]。イギリス留学を経て、再び山口高等学校教授となり、1929年(昭和4年)に弘前高等学校校長に就任した[3]。1932年(昭和7年)、東京外国語学校校長に転じ、1938年(昭和13年)に退官した[3]。退官後、弘前高等学校から名誉教授の称号を受けた[3]。
栄典
- 位階
- 勲章
親族
著作
- 著書
- 訳書
脚注
参考文献
関連文献
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