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投馬国
古代日本列島にあった国家 ウィキペディアから
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投馬国(とうまこく、つまこく)は、3世紀に日本列島に存在したとされる国のひとつである。
『三国志』「魏書」東夷伝の通称「魏志倭人伝」によれば、投馬国は、不弥国から南へ水行20日の位置にあったと記述されている(放射状に読む説では伊都国から南へ水行20日と解される。同じ放射状に読む説でも末廬国を起点とする説もある。また直線式か放射状かに関わらず、この部分は「帯方郡の郡治から南へ水行20日」の意味だとする説もある)。5万余戸の人家があり、長官は彌彌(弥弥、ミミ)、副官は彌彌那利(弥弥那利、ミミナリ)と呼ばれている。
主な比定地
比定地は、邪馬台国九州説では日向国都萬(つま、都萬神社周辺、現西都市妻地区)説、薩摩国説、五島列島説などがある。瀬戸内海航行説の場合、名称の類似から備後国の鞆とする説などがあり、日本海航行説では出雲国や丹後国、但馬国などにあてる説がある。
投馬国の所在地
帯方郡から投馬国までの行程について、『魏志倭人伝』や『北史倭国伝』には、次のように記述されている。
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脚注
関連項目
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