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折原啓子

1926-1985, 女優。 ウィキペディアから

折原啓子
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折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よしこ〕、旧姓:折原、1925年大正14年〉1月1日[1] - 1985年昭和60年〉11月24日[4])は、日本女優。映画プロデューサーの三上訓利は夫[2]、元・プロ野球選手篠塚和典娘婿(篠塚の妻・嘉津子が実娘)[2][3]俳優三上博史は甥[3]、篠塚宜政[注 1]は(折原の死去後に誕生した)孫[6]である。

概要 おりはら けいこ 折原 啓子, 本名 ...
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経歴

1925年、茨城県北相馬郡小文間村(現・取手市)生まれ[1]。茨城県立取手高等女学校(現・茨城県立取手第二高等学校)卒業後にタイピストを経て見習い看護婦をしていたが、戦後まもない1945年大映第1期ニューフェースに応募・合格し、翌46年に『彼と彼女は行く』でデビュー。以後、『花咲く家族』など約60本に主演し、その美貌が多くのファンの心をとらえた。

人気絶頂の1947年暮れに結核のため病気療養を余儀なくされるも、1949年に復帰を果たす。1951年に映画プロデューサーの三上訓利と結婚。1952年に東映と契約し『母の罪』『母系図』『四人の母』など、母もの映画などで新境地を開いた。1955年に再びフリーとなってからはテレビを中心に活動を続けたが、出産・育児などもあり次第に仕事を抑えはじめ、やがて脇へ回っていく。

1985年11月24日、急性心筋梗塞のため60歳で急逝。

主な出演

映画

テレビドラマ

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主なディスコグラフィー

シングル

脚注

外部リンク

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