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特別機動捜査隊

日本のテレビドラマ番組 ウィキペディアから

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特別機動捜査隊』(とくべつきどうそうさたい)はテレビ映画による刑事ドラマ、及び1963年公開の日本映画である。

概要 特別機動捜査隊, ジャンル ...

テレビ映画は制作:NET東映1961年10月11日から1977年3月30日まで、15年と6カ月間、放映された。当初はモノクロ放送だったが、1967年4月6日からカラー放送となった。全801話。1時間の刑事ドラマでは最多放送回数である。映画1963年に国内で封切り公開され、製作:東映。

本作が放映されると、各都道府県警察本部に様々な事件の初動捜査を担当する機動捜査隊が設置されるきっかけとなった。作中では特捜隊とくそうたいと略されることが多い。

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テレビ映画

要約
視点

概要

内容

国内初の1時間テレビ映画として毎週放送が始まった。基本プロットでは事件発生のいきさつから犯人逮捕までの過程における捜査活動重点を置いており、レギュラーの立石主任警部補)をはじめ登場する刑事たちは、話を転がすための進行役という扱いだった。基本作風としては事件発生から解決までを時系列で描き、登場する刑事も前面に出るのではなく、あくまで事件や犯人に描写を置くストーリー構成だが、世相を反映したエピソードも多数作られた[1]。毎回出てくる「警視三〇三、直チニ現場へ急行セヨ」の台詞や「通報を受けた特捜隊○○班は直ちに現場へ急行した。」のナレーションは本作の代名詞ともなった。ただし最初期はナレーションが無くタイトルバックのみであった。また、アメリカ合衆国の『アンタッチャブル』の要素が色濃く取り入れられて居る事が特徴である。リアリティを与えるため、警視庁から実際にあった事件の素材の提供を受け、それをフィクション化するという手法が用いられた。これにより、それまでタブーとされていた事件の発生描写が細かく描かれ、そのインパクトが視聴者を引き付ける結果となり、第1話では38.7%を記録[2]。それ以降で30%以上の視聴率をマークした。年々凶悪化する犯罪の初動捜査を確実にするため、1959年4月に警視庁刑事部捜査第一課に「初動捜査班」が設置されたが、NETテレビの大株主である東映がこれを知ると、大川博がテレビ映画化を決定した逸話がある。1963年4月には警視総監の任に就いていた原文兵衛が、本作のファンだったので、それまでの「初動捜査班」を「機動捜査隊」と改称し、捜査第一課から独立させ、これが現在全国警察に49隊(警視庁3隊・他の道府県1隊)ある「機動捜査隊」となっている[注釈 1]

各班

初期は立石班のみだが、代打的存在として藤島班を設定したのを皮切りに、2〜3班によるローテーション(時には合同)方式に変更された。2班体勢定着後は、回によって両班の所属刑事の混成チームが登場していくようになる。登場する各刑事の基本的な人物設定などは一切設けられておらず、回によってはレギュラー刑事の役者が代わったり、階級序列が逆転するなどの現象が見られた。階級及び年齢序列は立石班オリジナルメンバーにおいては、立石>橘部長刑事>荒牧>桃井>岩井田>松山と完全固定されているが、それに絡む他の刑事は結構あやふやであり、例を挙げると途中加入の香取刑事はある回では初期から登場している先輩格の桃井刑事から「香取君」と呼ばれていたが、別の回では香取刑事が同じく先輩格である荒牧刑事と対等に会話をしたりしていた。立石班、藤島班では基本的に部下・後輩を呼び捨てにすることはなかったが、三船班では主任に習い部下や後輩に対しては呼び捨てとなった。例外はベテランの部長刑事で、三船主任も「チョウさん」と呼んで敬意を表していた。藤島班の南川部長刑事は「ナンチョウさん」と呼ばれた。橘部長刑事と関根部長刑事が共演する時は橘が「チョウさん」で関根が「関チョウさん」、関根と松木部長刑事共演の時は関根が「チョウさん」で松木は「マッツァン」であった。また、三船は荒牧刑事を「マキさん」、岩井田刑事を「ガンさん」と呼んだ。他にも高倉主任と畑野刑事が警察学校の同期であることから、2人で会話をする時に上司の高倉を呼び捨てにしていたことがあったり、長らく標準語で喋っていた内藤刑事が突然関西弁を喋ったりというような現象もあった。

回数に含まれない特番が2回放送されているが、このうちの1回は第1話の前週(1961年10月4日)に放送されている[注釈 2]。また、正月放映の回では時代劇仕立てのエピソードが作られたり、刑事たちが揃って災難に遭うコメディタッチのエピソードが作られるなど、非常にバラエティ豊かであった。3班時代の末期から特定のレギュラー刑事をメインにした話もしばしば作られるようになり、そして後期になるとそれまで背広一辺倒だった中でラフな服装や、長髪の刑事が登場したりとその時代の刑事ドラマの時流を追いかけた変化もあった。

スタッフ

※ 量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載する。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。

キャスト

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キャスティング

番組がスタートした当時は五社協定が効いている時代で、東映では自社製作のテレビ映画にはB級スターや無名の専属俳優を多く起用していた。そんな中、本作では『七色仮面』や『捜査本部』などのテレビ映画で実績を挙げていた波島進を主演に迎え、彼と共に事件捜査にあたるメンバーには『にっぽんGメンシリーズ』や『警視庁物語シリーズ』等で刑事役を演じた役者やヒーロー番組の主役俳優などを起用する体制でスタート。毎回ゲストには東映の役者に加え、中井義の古巣である新東宝の役者などがキャスティングされた。

レギュラーも含め、出演俳優の多くは他の作品では脇役中の脇役といった扱いの役者や、特撮番組の主演はしていたが一般ドラマにはあまり知られていないという役者も多かった。例を挙げれば、三船主任役の青木義朗は起用当時日活の任侠映画での悪役を中心に活動しており、高倉主任役の里見浩太朗も当時は時代劇でゲストやサブレギュラーとしての扱いが多かった。中にはゲスト出演を繰り返し、レギュラーメンバーに抜擢されるも、降板後再びゲスト中心に逆戻りした役者も多数いた。時として、実在の歌手(主にコロムビアレコードビクターレコードの専属歌手が多い)がクラブなどのシーンでの歌い手として顔見せ出演したり、実在のキャバレーのダンサーや文化人がそのままの役で出たりといった従来のドラマでは不可能と見られる試みがなされた。また地方ロケでは、その地方出身の役者を起用することも少なくなかった。

これらの事情に関してプロデューサーの中井義は1969年1月発売のTVガイド誌上にて、「高額なギャラをもらってる(いわゆるスタークラスの)俳優やタレントは、"刑事=庶民の味方"のイメージから逸脱しているのでキャスティングしない。」とのコメントを残している。

1970年代に入ってからは日活・大映の役者も積極的に起用しており、他の有名番組で人気を博した俳優も出演するようになったものの、当初からのキャスティング傾向は変わらなかった。こうした背景は後番組の「特捜最前線」でも引き継がれている。

役名の特徴としては住吉正博→住吉刑事、山口暁→山口刑事、水木㐮→水木刑事、村上不二夫→村上記者など、俳優の芸名をそのまま使用している例が多い。

協賛

放送開始当初は特定のスポンサーについておらず、観音開きトヨペット・クラウンの白パトや1953年シボレーも登場していた。やがて日産自動車日立製作所の2社が協賛となる[注釈 4]

日産自動車が番組提供及び車両協力していた関係で、劇中で特捜隊が使う覆面パトカーセドリック[注釈 5]が使われていた。#概要で既述したとおり、警視総監時代の原文兵衛が本作のファンだったために、後に実際のパトカーにもセドリックが採用されたという逸話がある。

日産自動車はプリンス自動車と合併した事により、1968年度の途中からは旧・プリンス自動車の車種であったグロリア[注釈 6]スカイライン[注釈 7]が劇中の覆面パトカーとして登場するようになり[注釈 8]、放送10年目を迎えた1971年10月6日放送の「わが道を行く」よりC10型スカイライン(通称・ハコスカ)の覆面パトカーが登場し[3]1972年12月13日放送の「刑事はつらいよ」よりC110型スカイライン(通称・ケンメリ)の覆面パトカーが登場した[注釈 9]

その他警らパトカーや逃走車両を含む劇中車両としてブルーバード[注釈 10]サニー[注釈 11]ローレル[注釈 12]などの日産車、また愛知機械工業製のコニー360ライトバンが登場した。

オープニングで覆面パトカー[注釈 13]が疾走するシーンは、後継番組の『特捜最前線』のオープニングにおいてもほぼそのまま受け継がれていた。

放送日程

この節の出典:[4]

1961年

放送リスト
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1962年

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1963年

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1964年

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1965年

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1966年

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1967年

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1968年

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1969年

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1970年

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1971年

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1972年

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1973年

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1974年

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1975年

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1976年

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1977年

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挿入歌

放送局

※系列は本放送当時の系列。

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視聴率

最高視聴率:第84回「自首」の34.3%(1963年6月5日放送。「テレビ朝日開局60周年記念 年代別にすべて発表!! 番組視聴率ランキング」の1960年代視聴率ランキング 5位)

逸話

  • 本作がスタートする直前、東映はテレビへの映画提供打ち切りに踏み切り、専属俳優のテレビドラマ出演を制限していった。さらに五社協定によって45分以上のテレビ映画の製作は禁止されていた。本作のスタートの背景にはこういった当時の映画とテレビとの関係を覗わせる制約が存在していた。このため初期の作品は実質NETテレビ主導で製作されていた。
  • 番組3周年には、異例の試みとして作品内の事件の犯人が誰なのかを当てる「懸賞付き犯人当てクイズ」が行われた。この企画は後に5周年記念でも実施されている。
  • テレビ映画で初めて、磁気録音フィルム(COMMAG方式)が1966年1月12日放送分より使用される[8]
  • 放送250回を達成した1966年8月8日、東映東京撮影所の第8オープンスタジオで劇中で殺された317人のための慰霊祭が行われた。撮影所近くの寺院の僧侶による読経と250話分の台本がお焚き上げされる中で30数名の関係者がしめやかにお焼香し、形だけの被害者の冥福を祈った[9]
  • 第299話「夜の季節」のロケーション撮影で、練馬区立練馬図書館利用者の秘密侵害問題に関する内容が問題視され、図書館団体の申し入れにより当該演出を同団体の意向に添うよう変更し撮影を行っている。
  • 多摩川でロケ撮影中(話数不明)に偶然、服毒自殺の女性を発見し、劇中車両のパトカーで病院に搬送したり、脅迫容疑で追われていた暴力団員がロケ現場に紛れ込んでしまい本物の刑事と勘違いして逃走した末に取り押さえられて本物の警察に引き渡されるなどのハプニングもあったと言う[10]
  • 「砂に十字架を…」(第382話)に悪性腫瘍により右腕を切断した俳優・高橋英二を出演させ、「神への道」(第387話)に全盲の歌手・作曲家で知られた大野秋好を出演させたのは中井プロデューサーの希望であり、後者に関しては「2年越しの構想であった」と語っている[11]
  • メインカメラマンを担当した内田安夫は第60話「禁断の過去」(第2回)と第496話「闇の中」(第11回)の撮影で日本映画テレビ技術協会が制定した日本テレビ技術賞を受賞した。
  • 番組開始当時は30分もののドラマが70万円程の予算だったのに対し、1時間ものである本作は1本につき100万円以下の予算だったため、無名の役者や歌手を出演させたりしていた。また、2本の話をわずか2週間足らずで仕上げるというハードスケジュールぶりで、前後編でないにも関わらず出演者の顔ぶれが重複しているケースが多いのもこのためである。
  • 第267話ではカラー作品であったが、OA時はモノクロであった。
  • 番組前半期の顔であった立石主任役の波島と藤島主任役の中山は番組10周年を目前にして降板した。波島の降板理由は三船班をメインに据えた番組の路線変更に難色を示したことと言われている。この番組の降板から間もなくして波島は芸能界を引退した。
  • 主任役に起用された俳優は、警視庁を訪問し警視総監に主任役決定の意向を報告したという。これは里見浩太朗、亀石征一郎の証言で明らかになっている。
  • 1976年(昭和51年)9月1日に放送された「新宿海峡」は水木刑事役の水木襄が当時新曲として出したばかりのシングルレコードのタイトルでもあり、またこの回でギター流しに扮した水木刑事がこの曲を劇中歌として歌った。
  • 1980年代に独立UHF局で行われて以来長らく再放送の機会に恵まれなかった本作であったが、CS放送東映チャンネルにて、2006年6月から2007年3月まで第1話と第118話から第212話(第2話から第117話まで原盤保存がなく、欠番との告知が東映チャンネルのHPに記載された)2009年10月から2011年7月の間に第238話から第450話を、2015年4月から2017年2月の間に第451話から第650話の再放送が行われ、2019年3月から2020年8月までは第651話から第801話(最終回)までを、2020年8月からは第651話以降の再放送が再び行われ、2022年9月16日の放送をもって完全に放送終了した(いずれもニューマスター版)。ただし原版紛失及び損傷などの理由で、多くの本数が欠番扱いとなっている。
  • 日高晤郎の役名は当初「代田刑事」とする予定だった。プロデューサーが「君は代打の刑事だから代田で行こう」と打診したところ、日高は「代打の刑事が代田じゃそのまますぎるので、代打の代と打を逆さにして打を田に変えて田代刑事にしたい」と伝え、「田代刑事」となった。
  • オープニング・エンディングで表記されたスタッフ・キャストのテロップは長らく筆記体であったものの、時期を追うごとに筆跡の変更を繰り返した後、第578話以降(第579・588話をのぞく)は活字表記に変更された。また作品内で使われた全てのテロップの色もカラー化して間もなく黄色に変更されたが、1974年以降は白に戻っている。
  • 常に高い人気を誇っていた本作も 1977年3月30日で15年半の歴史に幕を閉じることになった。最終回のエンディング(映像自体は通常と同じ)では、キャストロールをバックに、視聴者へ15年半の愛顧への感謝を伝えるナレーションが挿入され、通常「終」とクレジットされる箇所では楕円囲みで「最終回」とクレジットされた。
  • 一般家庭にビデオが普及する前の1981年頃、東映芸能ビデオから第800回「あゝ夫婦」を収録したビデオが4万円で発売されていたことがある[12]。本作の映像ソフト化はこれ以降長らく行われていなかったが、2020年12月から販売元の東映ビデオ(発売元はベストフィールド)より、デジタルリマスター版としてDVD-BOX(スペシャルセレクション)が順次リリースされている[13]
  • 放送開始当初は日立製作所一社提供で「日立ファミリースコープ」と銘打っており[14]、劇中で日立製の捜査用機器や家電品[注釈 25]、日立チェーンストールなどの販売店も随所に登場している。また「日立マーク」と東京タワーを中心にしたオープニングキャッチ(1964年製作)も短期間であるが放送されていた。なお、このオープニングキャッチは第4回「ACC CMフェスティバル」で銅賞を受賞している関係により、テレビCM扱いで横浜市の放送ライブラリーにて公開されており、第1話「最後の犯人(ホシ)を追え」と同様、視聴が可能である[15]。また1966年からは「日立のうた-h.i.t.a.c.h.i.-」(作詞・作曲:越部信義、歌:ダーク・ダックス)を使用したオープニングキャッチを筆頭スポンサーが日産自動車に変更される1970年頃まで放送された。
  • 日産自動車が筆頭スポンサーとなった1970年頃からは「世界の恋人」(作曲:芥川也寸志、編曲:大野雄二、スキャット:シンガーズ・スリー)を使用した日産自動車のオープニングキャッチが放送されるようになる。(尚このオープニングキャッチは東京12チャンネルの土曜21時枠で放送されていた「日産劇場」(「大江戸捜査網」や「絵島生島」などが放送された時代劇枠)でも使用されていた)
  • 1972年6月14日放送「悪女の季節」に電報配達員役で出演していた俳優は、放送時点で過激派黒ヘルグループの1人として指名手配されていた[16]
  • 著名な声優のゲスト出演も多く、当時『ゲゲゲの鬼太郎』の主役だった野沢雅子は脇役で数多く出演したほか、井上真樹夫、宮内幸平、青野武、大山のぶ代、西尾徳、小原乃梨子、池田昌子、市川治、辻村真人、古川登志夫、雷門ケン坊、古谷徹、三ツ矢雄二、よこざわけい子(当時は横沢啓子)なども出演歴がある。また、山田康雄や中尾隆聖(当時は竹尾智晴)がメインを張った回などが存在する。池田秀一、千葉繁、秋元羊介、内田直哉のように、出演後に著名な声優となった俳優も多い。
  • 放送終了後の1979年にパイロット万年筆から発売されたノート筆記用ペン「ノートペン」のテレビCMは本作のパロディで本作でナレーターを務めた島宇志夫を再び起用したが、CMに登場した立石主任は別の役者が演じており、容姿及び風格が本作と全く異なっている。
  • 本作の終了後も、同じ流れを汲む後継番組の『特捜最前線』をはじめ、現在も放送されている『テレビ朝日水曜21時枠刑事ドラマ』の各番組への番組提供及び車両協力も日産自動車が継続して行っており、劇中の覆面パトカーも日産車各車が登場している。
  • 放送開始日は、TBSで『七人の刑事』が放送開始された日でもある。1972年スタートで1987年まで15年間放送された『太陽にほえろ!』をはじめとする他の作品の放送回数も本作に及ばない。。

ソフト化作品

スペシャルセレクション Vol.1
2020年12月2日発売。
さらに見る Disc1, Disc2 ...
スペシャルセレクション Vol.2
2021年1月13日発売。
さらに見る Disc1, Disc2 ...
スペシャルセレクション Vol.3
2021年2月10日発売。
さらに見る Disc1, Disc2 ...
スペシャルセレクション Vol.4
2021年3月10日発売。
さらに見る Disc1, Disc2 ...
スペシャルセレクション Vol.5 ―6人の主任篇Part1―
2021年9月8日発売。
さらに見る Disc1(立石主任), Disc2(藤島主任) ...
スペシャルセレクション Vol.6 ―6人の主任篇Part2―
2021年10月13日発売。
さらに見る Disc1(立石主任), Disc2(藤島主任) ...
スペシャルセレクション Vol.7 ―立石主任よ永遠とわに Part1―
2023年4月12日発売。
さらに見る Disc1, Disc2 ...
スペシャルセレクション Vol.8 ―立石主任よ永遠とわに Part2―
2023年5月10日発売。
さらに見る Disc1, Disc2 ...
スペシャルセレクション Vol.9 ―帰って来た三船主任―
2023年10月11日発売。
さらに見る Disc1, Disc2 ...

ネット配信

  • 東映オンデマンド(Amazon Prime Video):2024年2月1日 - (1ヵ月セレクション10話毎追加)
  • 東映シアターオンライン(YouTube):2024年2月1日 - (第1話は常時配信)

前後番組

さらに見る NET系 水曜22時枠, 前番組 ...
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映画

要約
視点

特別機動捜査隊

概要 特別機動捜査隊, 監督 ...

国内では1963年3月31日に封切り公開された。

ストーリー(映画)

日暮里駅に近くの陸橋で若い女性の変死体を発見という連絡が。特別機動捜査隊の警視三〇三、立石主任・橘部長刑事・荒牧刑事・桃井刑事・内藤刑事に入り、5人は現場へ向かう。現場に居た警察官は遺書があるので、自殺だろうと報告。知らせを受けた父・細田武は、娘・細田絹子の姿をみて、むせび泣く。現時点では事件性が無いので、再び巡回に戻る警視三〇三。内藤は「あの人(細田武)は、僕の友達が務めている週刊雑誌社(週刊太陽)の編集長ですよ」と運転しながら、立石に説明する。男で一つで育て上げたのにたまらんだろうなと、5人は無念そうに語り合っていた。初七日を過ぎた細田は仕事に戻り、週刊太陽編集部では新進スターで「飛燕 若さま侍」の滝竜二を次号のグラビアモデルにする企画を進めていた。細田は名士・茨常五郎の麻薬密輸の疑惑を追っていた記者・中野通夫を呼び、滝の取材に行かせる。撮影が小休止したので、滝にインタビューしようとした中野は、そこに茨常の部下・藤井健吉が居たことに驚く。滝は自分の控室に戻ろうとエレベーターに乗ったが、その滝がエレベーター内で死体になっていた。本部から連絡を受けた警視三〇三は現場へ急行する。

キャスト(映画)

※クレジットタイトル順。

スタッフ(映画)

※クレジットタイトル順。

特別機動捜査隊 東京駅に張り込め

概要 特別機動捜査隊 東京駅に張り込め, 監督 ...

国内では1963年5月12日に封切り公開された。

ストーリー(東京駅に張り込め)

ファッションデザイナーの合原京子は自分のファッションショーをセントラルホールで開催していた。ショーも終わり、合原は舞台に立って挨拶。しかしスピーチをしている途中にいきなり苦しみだし、倒れて間もなく即死した。本部から連絡を受け、特別機動捜査隊の立石班は現場へ到着。各員分担して関係者から事情を聴取し始める。監察医は解剖するまで正確なことは言えないが、青酸カリを服用したのだろうと推測する。立石は即効性があるので自殺の可能性も捨てきれないと考えていたが、内藤はショーに出ていたモデルたちから、合原は野心家で自殺するようなタイプではなく、あちこちに恨まれているという証言を複数引き出していた。

キャスト(東京駅に張り込め)

※クレジットタイトル順。

スタッフ(東京駅に張り込め)

※クレジットタイトル順。

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脚注

関連項目

外部リンク

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