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按察使局 (崇源院の侍女)

日本の江戸時代前期の女性。大奥の大上臈。高嶋兼政の妻(子に高嶋左近、大久保忠興の妻)。養子に高嶋兼明 ウィキペディアから

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按察使局(あぜちのつぼね、生年不詳 ‐ 寛文9年9月8日1669年10月2日))は、江戸時代前期の女性。大奥大上臈。本名は一条信子だったともいうが確証はない。

生涯

土佐国国司一条兼定の娘として土佐にて誕生。母は宇都宮豊綱の娘。始めは高島兼政に嫁ぎ、兼政との間に高島左近大久保忠興室を儲ける。

慶長8年(1603年)、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の妻である崇源院が、娘の千姫の婚礼に随伴し上洛した際に仕えた。崇源院の死後は3代将軍・徳川家光に仕えた。寛永19年(1642年)、今までの功を称され、上総国埴生郡500石を賜る。慶安4年(1651年)、家光の死後は徳川家綱に仕えたが、しばらくして隠居した。

寛文9年(1669年)に江戸で死去。戒名は光園院一誉清覚大姉。遺領ははじめ高島長親池田長幸の六男)、のち高島兼明(娘婿の大久保忠興の四男)を養子として相続させた。[1]

両親は永禄7年(1564年)に離縁している。生年は未詳だが、『寛政重修諸家譜按察使局』に記されている享年105を基に逆算すると1564年となり、誕生後間もなくして両親が離縁したことになる。

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脚注

出典

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