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敷波 (敷波型駆逐艦)
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敷波(しきなみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、敷波型駆逐艦の1番艦である。元ロシア水雷巡洋艦カザルスキー級 (Казарский) の「ガイダマーク」(Гайдамак)[4]。同名艦に吹雪型駆逐艦(「特II型、綾波型」)の「敷波」があるため、こちらは「敷波 (初代)」や「敷波I」などと表記される。
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艦歴
日露戦争に参加。1905年(明治38年)1月1日、旅順で沈没状態で捕獲され、同年10月7日に旅順で引き上げ、整備。同年10月31日に「敷波」と命名。1913年(大正2年)4月1日に除籍され[5]、1914年(大正3年)8月23日に雑役船「敷波丸」となる。同年、青島の戦いに参加[1]。1915年(大正4年)6月28日に廃船となり、同年10月27日に売却された。
艦長
※艦長等は『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 西野作太郎 大尉:1909年11月1日 - 1910年4月21日
- (兼)森山明 大尉:1910年4月21日 - 1910年10月4日
- (兼)竹内正 大尉:1910年10月4日 - 1910年12月1日
- 竹内正 大尉:1910年12月1日 - 1911年4月12日
- 福岡成一 大尉:1911年4月12日 - 1911年8月10日
- 堀江平弥 大尉:1911年8月10日 - 1911年12月27日
- 福岡成一 大尉:1911年12月27日 - 1912年7月5日
- 野島新之丞 大尉:1912年7月5日 -
脚注
参考文献
関連項目
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