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斎藤真澂

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斎藤 真澂(さいとう しんちょう、1880年明治13年〉1月2日[1][2][3] - 没年不明[3])は、昭和時代前期の日本の政治家鉄道官僚三重県宇治山田市長

経歴

国井清廉の三男として岐阜県、のちの羽島郡笠松町に生まれ、斎藤光の入夫となる[1]1906年(明治39年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[1][4][2]。更に大学院に学んだ[4]。帝国鉄道院に出仕し、同書記、同参事、鉄道局参事、札幌、仙台、各鉄道局運輸課長、鉄道監察官を経て、札幌鉄道局長および鉄道省監察局長に進んだのち退官する[4]。その後、参宮急行電鉄専務取締役を経て、1935年(昭和10年)11月、宇治山田市長に就任した[4][2]1940年(昭和15年)1月、再選した[1]。3期務め1946年(昭和21年)3月に退任[2]。その後、公職追放となった[5]

脚注

参考文献

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