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新港郷
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地理
新港郷は嘉義県の北西端に位置し、東は民雄郷及び渓口郷と、西は六脚郷と、西と北は北港渓を隔てて雲林県北港鎮及び元長郷と、南は朴子渓を得立て太保市とそれぞれ接している。嘉南平原北部に位置し、北港渓と朴子渓により南北を挟まれた地勢は平坦である。嘉義市への通勤率は約12.5%。
歴史
新港は旧名を「新南港」と称した。集落形成初期は「笨港」地区の一部分とされていた。当時は原住民である平埔族の活動地域であったが、1621年、海賊の顔思斉が民衆を引き連れて上陸し「笨港十寨」を設置し漳州及び泉州からの入植を募るようになり開発が進み、康熙年間には既に街区が形成され、重要な港湾として発達していた。
1750年、笨港渓(現在の北港渓)で大洪水が発生し、それまで一つの地域であった笨港が「笨港北街」(笨北港)と「笨港南街」(笨南港)に分割された。1782年、漳州系住民と泉州系住民の衝突が発生すると、泉州人は笨南港を攻撃、それに加え林爽文事件と笨港渓の洪水が重なり笨南港の住民は東南の麻園寮に移住し「新南港」という集落を形成した。ここで笨港の歴史文化を継承し、今日の新港発展の基礎を築いた。なお清末には「新港」と改称され現在の地名が誕生している。
1920年、台湾の地方改制が行なわれると、台湾総督府により台湾中で散見される「新港」という地名の重複問題を考慮し、また新港が河港より距離があることから「新巷庄」と改称し、台南州嘉義郡の管轄とした。戦後は「新港」の名称が復活し台南県新港郷が設置された。1950年に嘉義県新港郷と改編されて現在に至っている。
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経済
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- 国立新港芸術高級中学
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- 嘉義県立新港国民中学
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