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新田宿

江戸時代の下野国にあった日光街道の宿場 ウィキペディアから

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新田宿(しんでんしゅく、しんでんじゅく)は、江戸時代日光街道(日光道中)に設けられた下野国宿場日光街道江戸日本橋から数えて13番目の宿場である。現在は栃木県小山市羽川に相当する。

概要

宿駅としての起源はよく分かっていない。別称は芋柄新田(いもがらしんでん)、大町新田(おおまちしんでん)。現在は栃木県小山市羽川に相当する。 宿駅の管理は、当初は小山藩元和5年(1619年)以降は宇都宮藩、元和8年1622年以降は古河藩貞享2年(1685年)以降は幕府が担った。

天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、本陣は1軒、脇本陣は1軒設けられ、旅籠が11軒(大2、中4、小5)あった。宿内の家数は59軒、人口は244人であった[1][2][3]

現在の国道4号線沿いに展開し、南端は小山羽川郵便局付近、北端は銅市金属工業付近である。

交通

隣の宿場

  • 日光街道、奥州街道
小山宿 - 新田宿 - 小金井宿

脚注

参考文献

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