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日本橋弁松総本店
東京都中央区日本橋室町一丁目にある惣菜と折詰料理の店舗 ウィキペディアから
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日本橋弁松総本店(にほんばしべんまつそうほんてん)は、東京都中央区日本橋室町一丁目にある惣菜と折詰料理の店舗である。
「現存する日本で最古の弁当屋」と言われている[2]。
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概要
1810年(文化7年)、越後出身の初代樋口与一が、日本橋の魚河岸商人のための、「樋口屋」という食事処を開いたのが始まり。魚河岸では繁盛したが、忙しい魚河岸の商人ゆえ食事を食べ残すことがあった。そこで、残した料理を経木や竹の皮に包んであげたところ、これが好評となり持ち帰る商人が増えた。これが、弁松の折詰弁当の始まりである。二代目竹次郎は竹皮で包んだ弁当を販売し、三代目松次郎は食事処から折詰料理専門店に変えた。店は弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれた。1850年(嘉永3年)、3代目樋口松次郎は、食事処を店じまいし折詰料理専門店「弁松」を創業。1948年(昭和23年)、「有限会社 日本橋弁松総本店」を設立、折詰弁当製造販売を始めた[3][4]。
「弁松」には、徳川御三家の家令が人力車に乗って来たり、日本橋から埼玉まで大八車で弁当を届けた記録もある。以来、江戸日本橋で弁当を作り続け、老舗が多い日本橋で江戸の味の文化を伝えている[3][4] 。
「弁松の弁当」文化7年(1810)、越後出身の樋口与一が、日本橋の魚河岸商人たちのための、食事処を開いたのが始まりの弁当屋。三代目の樋口松次郎の時、弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれるようになった。嘉永3年(1850)、食事処を閉め、折詰料理専門店「弁松」を創業。魚河岸商人が使う鳶口の絵あり。魚印の商標の一部と、「魚がし安針町御弁當弁松製」と書かれた紙片が書き写されている。
— 清水春風著『東京名物百人一首』明治40年8月「弁松の弁当」より抜粋[3]
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営業情報
交通アクセス
ギャラリー
- 外観全景(2018年2月6日撮影)
- 清水春風著『東京名物百人一首』「弁松の弁当」(2018年2月6日撮影)[3]
- 左から「赤詰」「白詰」の弁当(2018年2月6日撮影)
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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