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日系パラオ人

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日系パラオ人(にっけいパラオじん、英語: Japanese Palauans)とは日本人の血を引いたパラオの市民である。なお現在、全人口の25%にあたる約5,000人のパラオ人は日本人の血を引いているとされる[2][3]。(2005年の統計)

概要 Japanese Palauans, 総人口 ...

歴史

日本第一次世界大戦中の1914年ドイツ領パラオを占領し、1920年12月17日に国際連盟理事会は南洋群島委任統治を日本に与えることを決定したである[4][5]1922年3月30日勅令第107号「南洋庁官制」により、翌4月1日にコロール島南洋庁本庁が設置されたである[6]

1938年には日本人(15,669人)がパラオ先住民(6,377人)を上回ったとされる[7]1945年第二次世界大戦敗戦後、パラオに住んでいた日本人は速やかに復員し、その後数十年間は訪問が制限された[7]。ただし、戦後に残留した日系パラオ人はインタビューシリーズ等で紹介されており、政治や教育、文化分野で世代を超えて活躍している[8]

著名な日系人

大統領

その他

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アイデンティティと現代社会における役割

政治的影響力とリーダーシップの背景

日系パラオ人がパラオの政治において際立った影響力を持つ背景には、歴史的な要因が複合的に作用している。第一に、日本統治時代に提供された近代的教育が挙げられる。公学校で日本語の読み書きや行政実務を学んだ日系パラオ人は、戦後のアメリカ信託統治領時代、そして独立後の国家建設において不可欠な人材となったとされる[10]。第二に、戦前の日本人移民とパラオの伝統的指導者層との婚姻関係である。多くの日本商人が首長の娘と結婚し、両文化に精通する有力家系を形成した[11]。第三に、第二次世界大戦後の権力構造の変化である。敗戦後の引揚げにより生じた行政の空白を、一部の残留日系パラオ人が埋め、アメリカ統治当局との橋渡し役として政治的リーダーシップを確立した[7]

日本とパラオの「架け橋」として

日系パラオ人コミュニティは、日本とパラオの良好な二国間関係において「生きた架け橋」の役割を果たしている。日本政府やJICA笹川平和財団などによる支援は、日系人リーダーとの連携の下で効果的に実施されている[10][12]

現代のアイデンティティ

現代の日系パラオ人のアイデンティティは「パラオ人」を基礎に、日本のルーツが自然に統合された多層的なものである。政府の国勢調査では「日系パラオ人」という独立したカテゴリーは設けられておらず、民族別統計にも日本人系は「アジア系」の一部として集計されている[13][14]

また、パラオ国旗の大きな黄金の月が日本の日章旗を思わせるデザインであることは、一般に相互理解と友好の象徴とされるが、公式には「満月平和と調和の象徴」と位置付けられている[15][16][17]

脚註

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