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早稲田大学ラグビー蹴球部の海外遠征
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早稲田大学ラグビー蹴球部の海外遠征の一覧。1927年のオーストラリア遠征から数多くの海外遠征を行ってきた[1]。
1927年オーストラリア遠征
早稲田大学ラグビー蹴球部は1927年にはじめての海外遠征を行った。大学ラグビー部としては2年前の1925年に慶應義塾體育會蹴球部が上海に遠征しているものの、今回の遠征はイギリスの流れを汲むラグビーユニオンが盛んな国であったこと、73日間の長期遠征だったという点で「破天荒の遠征」と国内関係者たちの度肝を抜いた[2]。
第1戦の歓迎会の席において団長の喜多壮一郎が『学生達は旅行中3つのNOが約束されている。即ちNo drinking, No Smoking, No dancingが、それである』と語ったものが話題となり、当時のシドニー総領事である徳川家正に伝わった。徳川家正のカナダ公使への転任後、その話が当時のカナダラグビー協会会長ジェームズ・スミスに伝わり早稲田大学ラグビー蹴球部のカナダ遠征に招待される。しかしながらこの招待を内部事情により日本ラグビー協会へ移牒したため、日本ラグビーフットボール協会が初めて日本代表を編成し臨んだ1930年のラグビー日本代表のカナダ遠征につながった[3]。
遠征参加メンバー
20名のメンバーで遠征を行った[2]
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1933年上海遠征
1936年満州・朝鮮遠征
1970年韓国遠征
1978年韓国遠征
1979年韓国遠征
1982年イギリス・フランス遠征
1985年中華台北遠征
1987年アイルランド遠征
1988年オーストラリア遠征
1992年イギリス遠征
1997年イギリス・アイルランド遠征
1998年オーストラリア強化遠征
2002年イギリス・アイルランド遠征
脚注
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