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旭堂南陵

日本の講談師の名跡 ウィキペディアから

旭堂南陵
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旭堂 南陵(きょくどう なんりょう)は、上方講談講釈師)の大名跡旭堂一門の留め名。本来は「あさひどう」と読ませていたが江戸と区別させる為「きょくどう」となった。


概要 本名, 生年月日 ...

二代目 旭堂 南陵(きょくどう なんりょう、1877年9月15日 - 1965年11月19日)は、上方の講談師。大阪市生まれ。初代の弟子で養子。本名:浅井 靏造

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経歴

1877年9月、大阪天満の染物屋に生れる。

1895年、東京から来た4代目正流斎南窓に師事[1]。初名は正流斎鶴窓[1]1896年初代旭堂南陵に入門。旭堂南花となる[1]1897年、東京へ上京し、3代目神田伯龍の門下で修行[1]神田龍生神田小伯龍と改名[1]1900年大阪へ戻る[1]初代旭堂小南陵へ改名[1]1909年2代目旭堂南陵襲名[1]

1949年関西演芸協会の初代会長に就任。1951年大阪市民文化賞受賞。1955年NHK放送文化賞受賞。

1965年11月19日、死去。88歳没

1996年、第1回上方演芸の殿堂入り[1]

人物

  • 堂々たる風格があり、「難波戦記」「太閤記」「祐天吉松」などを得意とした[1]
  • 戦前は上方唯一の講釈師として、新聞の連続講談やラジオ出演などをこなした[1]。戦後は、親子で上方講談の復興に尽力した。
  • 上方落語協会発足時、講釈師の会員は2代目南陵と2代目旭堂小南陵のみであった。

脚注

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