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西園寺瑛子

西園寺実兼の次女。亀山院の宮人・後宮・女院。准三宮、従三位 ウィキペディアから

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西園寺 瑛子(さいおんじ えいこ/えいし、文永10年(1273年) - 建武3年/延元元年6月26日1336年8月3日))は、亀山院宮人。父は西園寺実兼、母は中院顕子中院通成の娘)とする説[1]後深草院二条源雅忠の娘)とする説[2]がある。子に恒明親王がいる。女院号は昭訓門院(しょうくんもんいん)。

概要 西園寺 瑛子, 続柄 ...

生涯

正安3年(1301年)1月に29歳で亀山院の仙洞御所に入ると、3月に従三位に叙されて、同19日に院号宣下を受けて女院となる。嘉元元年(1303年)に恒明親王を生む。嘉元3年(1305年)9月に亀山院の崩御に伴って出家して、法名を真性覚と称した。

亀山院は生前に恒明を将来の天皇に就ける意向を示し、瑛子も兄である西園寺公衡と共にそのための工作を行ったが、後宇多天皇の反対によって挫折した。

なお、彼女に仕えていた春日局二条為世の娘)は公衡の嫡男である実衡の室となって公宗を生んでいる。

脚注

参考文献

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