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有田邦敬

日本の官僚 ウィキペディアから

有田邦敬
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有田 邦敬(ありた くによし[1]、くにゆき[2]1883年9月17日 - 1941年12月21日)は、日本の官僚経営者大阪市助役京阪電気鉄道社長を務めた。兵庫県出身[3]

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大阪市助役時代の有田邦敬

来歴・人物

旧制兵庫県立柏原中学校第三高等学校を経て[4]1908年京都帝国大学法科を卒業[3]内務省逓信省に奉職の後、1915年12月から大阪市長池上四郎の下で第二助役を務め、1923年12月から1927年12月までは関一の下で助役を務める[5]。両市長の下で迎えた大大阪時代を助役として支えた。1928年4月に太田光凞社長の要請により、京阪電気鉄道副社長に就任し、1936年10月には社長(第5代)に昇格[3]。厳しい経営状況にあった同社の再建を太田とともに進め、現場経験者を抜擢して役員に就任させるなど、次代を支える人材の登用と育成をも周到に行った[6]大阪商工会議所顧問、旧住友アルミニウム製錬取締役、国際電気通信奈良急行自動車大阪窯業セメントの監査役などの要職も務めた[7]。財団法人昭和学園(現在の学校法人大阪経済大学)の設立にも携わり[8]1936年9月から1941年12月まで理事長も務めた[9]

1941年12月21日社長在任中に死去[10]58歳没

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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