トップQs
タイムライン
チャット
視点
木下荘平
ウィキペディアから
Remove ads
木下 荘平(莊平、きのした しょうへい、1840年(天保11年8月[1][2])- 1906年(明治39年)5月14日[1])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、鳥取県会議長。
経歴
因幡国八上郡布袋村[3](鳥取県[1]八上郡三保村[2]、河原村[4]、八頭郡河原村、河原町[4]を経て現鳥取市河原町)で、代々大庄屋を務めた家に生まれた[3]。鳥取の藩儒・正墻適処(薫)に師事し和漢学を修めた[2][3]。
八上郡農兵組頭、智頭郡農兵組頭、戸長、大区長、学区取締、准十二等出仕、八束郡長などを歴任[1][2][4]。1881年(明治14年)鳥取県が再置され、同年11月、鳥取県会議員に当選し、同常置委員、同議長(第3、4、7代)を務めた[1][2][3][4]。
岡崎平内の辞職に伴い1891年(明治24年)9月に実施された第1回衆議院議員総選挙鳥取県第1区補欠選挙で当選し[5]、以後、第2回総選挙でも再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[1][2]。
実業界では、1888年(明治21年)松江に関西土木会社を設立して社長に就任し、島根県の道路事業を請負った[1][2][3][4]。また扇山社を設立して、楮(コウゾ)、三椏(ミツマタ)の栽培を行った[1][2][4]。
Remove ads
国政選挙歴
- 第1回衆議院議員総選挙(鳥取県第1区、1890年7月、無所属)次点落選[6]
- 第1回衆議院議員総選挙補欠選挙(鳥取県第1区、1891年8月)当選[5]。
- 第2回衆議院議員総選挙(鳥取県第1区、1892年2月、独立倶楽部)当選[6]
- 第3回衆議院議員総選挙(鳥取県第1区、1894年3月、国民協会)次点落選[6]
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads