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木俣秋水
日本のジャーナリスト、政治家 ウィキペディアから
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木俣 秋水(きまた しゅうすい、1912年(明治45年)4月3日 - 1991年(平成3年)4月26日[2])は、日本のジャーナリスト、政治家。京都日日新聞(のち京都新聞)論説委員、京都市会議員。
人物・来歴
京都府出身。嵯峨高等小学校卒業。1942年京都日日新聞(のち京都新聞)記者となり、1945年論説委員。1951年京都市議に当選、連続10期務め[2]、1968年から翌年まで議長、自民党京都府連幹事長も担う。当時京都府議だった野中広務とともに、蜷川虎三の革新府政に対峙[4]。また中曽根派に属した木俣は、のちに衆議院議長となる伊吹文明を大蔵省から衆議院京都1区に呼び戻し、後ろ盾となった[4]。
健康上の理由で、1991年春の統一地方選には出馬しなかった。任期は4月29日までであったが、阪急烏丸駅で転落して電車にひかれ、脳挫傷のため、京都市内の病院で死去。79歳没[2]。
著書
脚注
参考文献
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