トップQs
タイムライン
チャット
視点
木村徳応
江戸時代前期の絵仏師 ウィキペディアから
Remove ads
略伝
京都出身。姓は木村、号は徳応。ただし、落款に「木村」と署名された作品は確認されていない[1]。時期は不明だが、法橋に任じられている。貞享2年(1685年)9月出版の『京羽二重』には、「錦小路室町西へ入 同 徳應」とある[2]。また、この前後に木村了琢、木村左京(木村徳悦)、木村永玄とあり、木村姓を名乗る複数の絵師集団の一人だったことがわかる。彼らは江戸時代前期の大規模寺社造営に狩野派と共に深く関わり、彩管を振るった。
寛永13年(1636年)から天和元年(1681)まで45年という長い期間にわたり作品が確認されている。『畫人傳補遺』では、「諸宗の祖像を克く写す、諸山に多く蔵せり、仏画師中の健筆たり」とある。実際、頂相をはじめ作品数が多く、京都を中心に活動していたにもかかわらず所蔵場所は全国に散らばっている。絵の描写も謹直・丁寧で質も高いが、生動感にやや欠ける傾向がある。
弟子に「徳応二世」を名乗った木村徳栄(貞綱)がいる。
Remove ads
作品
Remove ads
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads