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本多利長

江戸時代前期の大名。三河岡崎藩4代藩主、遠江横須賀藩主、出羽村山藩初代藩主。従五位下・越前守。広孝系本多家4代。本多忠利の六男 ウィキペディアから

本多利長
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本多 利長(ほんだ としなが)は、江戸時代前期の大名三河国岡崎藩の第4代藩主遠江国横須賀藩主、出羽国村山藩の初代藩主。官位従五位下越前守。広孝系本多家4代。

概要 凡例本多利長, 時代 ...
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生涯

岡崎藩の第3代藩主・本多忠利の6男として誕生。正保2年(1645年)、父の死去で跡を継ぐ。このとき、岡崎藩6万石のうち、5万石を継いで、残りの1万石は兄・助久と弟・利朗に分与した。同年6月27日、遠江横須賀へ移封される。しかし天和2年(1682年)2月23日、不行跡や過酷な藩政を布いたとして改易された(本多政利の改易に連座したとも)。後に改めて、出羽村山郡内に1万石を与えられている。

村山移封後の利長について『土芥寇讎記』では、「昔の統治は悪かったが、今はいい」「領地召し上げ(村山移封)のあと行状が良くなった」と記されている。

元禄5年(1692年)12月16日、58歳で死去し、跡を甥で養嗣子・助芳(本多助久の次男)が継いだ。

系譜

父母

正室、継室

養子

外部リンク

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