トップQs
タイムライン
チャット
視点

太田資次

遠江浜松藩2代藩主、摂津・河内・下総国内。江戸幕府 奏者番、寺社奉行、14代大坂城代。掛川藩太田家2代。太田資宗の次男。従四位下、摂津守。子に長男、太田資明、太田資方(四男、旗 ウィキペディアから

Remove ads

太田 資次(おおた すけつぐ)は、遠江浜松藩の第2代藩主。大坂城代などの要職を務めた。掛川藩太田家2代。

概要 凡例太田 資次, 時代 ...
Remove ads

生涯

寛永6年(1629年)12月1日、浜松藩の初代藩主・太田資宗の次男として生まれた。早くから第3代将軍の徳川家光に近侍した。兄の資政の廃嫡によって嫡子となり、慶安4年(1651年)12月28日に従五位下に叙位された。寛文11年(1671年)12月19日、父の隠居により家督を継いだ。この時、弟の資良に俵米3,000石並びに新田2,000石の合計5千石を分知したため、所領は3万5,000石から3万2,000石となった。

延宝元年(1673年)に奏者番に任じられた。延宝4年(1676年)7月26日に寺社奉行を拝命し、兼任した。延宝6年(1678年)6月19日、大坂城代に任じられ、2万石を加増された上で所領を摂津河内下総などに移されたため、浜松藩から去って畿内周辺に移封となった。

貞享元年(1684年)4月6日に死去。享年56。跡を次男の資直が継いだ。

系譜

父母

正室、継室

子女

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads