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杉本エマ

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杉本 エマ(すぎもと エマ、1950年6月17日[1]- )は日本のモデル女優歌手作詞家。本名:松高恵久[2]大阪府大阪市出身[1][2]。身長174cm(1975年7月)[3]。身長171cm。B88cm、W57cm、H88cm(1969年9月)[2]。スタイリスト・モデルクラブ所属[2]

概要 すぎもと エマ 杉本 エマ, 生年月日 ...

経歴

アメリカ西ドイツ日本ハーフ[2]日本語は勿論、英語も喋れる[2]小山ルミゴールデン・ハーフらと、大橋巨泉司会を務めたフジテレビ音楽番組ビートポップス』のゴーゴーガールを経て[1][4]雑誌モデル等を務める[1]。14歳で『11PM』(日本テレビ/読売テレビ)の初代カバーガールを務めたとされる[5]1968年2月3日から放送された大橋巨泉司会のTBS系バラエティ番組お笑い頭の体操』で初代アシスタントを務めた。1969年9月、パピリオ化粧品の新商品「オード・ブランシェ、パスタ・ブランシェ」のテーマ「オーロラ・ホワイト」キャンペーンのモデルに起用され、セミヌードを披露[2]。当時は化粧品CMに女性の裸体を使うのは相当な冒険といわれたが[2]、「顔だけの美しさを強調する時代は過ぎた・これからは全身を美しく」という同社の考えから、全身の美しい杉本が起用された[2]ポスターはすぐに盗まれた[2]

1967年から1970年の間に多くの映画にも出演[1]渡哲也主演の日活ニューアクション『前科 仮釈放』ではクールに熱演した[1]

1971年、中村正也写真集『EMA NUDE IN AFRICA』等でヌードを披露[6]

歌手としては日本コロムビアから「青い薔薇のトゲ」1枚と[7]エレックレコードから3枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている[1][7]。エマ名義で出したシングル「エマニエル夫人」は、フランス映画エマニエル夫人』の日本語カバーで、日本語詞も杉本によるもの[1][8]。アルバムの12曲中、9曲で作詞も手掛けた[7]

2016年10月29日に京都で行われたイベントに出席した[5]

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出演

映画

テレビドラマ

バラエティ

CM・広告

  • パピリオ化粧品
    • 「オード・ブランシェ、パスタ・ブランシェ」(1969年)
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ディスコグラフィ

シングル

  1. アイアイアイ(1970年4月1日、コロムビア
    (c/w 青い薔薇のトゲ)[7]
  2. 愛の終わりのサンバ(1974年7月10日、エレック、GS–8002) ※「Retalhos de Cetim」のカバー[1]
    作詞:杉本エマ / 作曲:BENITO DI PAULA / 編曲:小谷充
    (c/w また戻る時まで)[1]
  3. エマニエル夫人 (1974年11月25日、エレック、GS–8003)※エマ名義
    作詞:杉本エマ / 作曲:ピエール・バシュレ
    (c/w 別離の匂い)[1]
  4. 好き(1975年4月25日、エレック、GS-8005) ※エマ名義[11]
    作詞:杉本エマ / 作曲:クニ河内 / 編曲:クニ河内
    (c/w おやすみ電話)[1]

オリジナル・アルバム

  1. EMMA IS LOVE エマは愛(1974年10月10日、エレック、GSL-7006) ※エマ名義[7] 2008年、NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンよりCDとして再発売[8]

脚注

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