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李亨澤

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李亨澤
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李 亨澤(イ・ヒョンテク、이형택, 英語表記:Lee Hyung-taik, 1976年1月3日 - )は、韓国横城郡出身の男子プロテニス選手。韓国のプロテニス選手として初めて、ATPツアー大会でシングルス・ダブルスともにタイトルを獲得した。シングルス自己最高ランキングは36位(2007年8月)。身長180cm、体重81kg、右利き。

概要 李 亨澤Hyung-Taik Lee, 基本情報 ...
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経歴

李は故郷の横城郡で、学校の教師に勧められて9歳からテニスを始めた。1995年に19歳でプロ入りし、直ちに男子テニス国別対抗戦・デビスカップ韓国代表選手に選出される。翌年の1996年アトランタ五輪でオリンピックにも初出場したが、この大会では男子ダブルスのみに出場し、1回戦でジンバブエ代表の「ブラック兄弟」(バイロンウェイン)に敗れた。4年後、李亨澤は2000年全米オープン4大大会デビューを果たす。予選3試合を勝ち抜いた李は、本戦でもピート・サンプラスとの4回戦まで進出し、韓国の男子テニス選手として4大大会初勝利を獲得した。この後シドニー五輪で2度目のオリンピックにも出場し、男子シングルスに初出場を果たすが、1回戦でスペイン代表のフアン・カルロス・フェレーロに敗れた。

2003年1月、李亨澤はシドニー国際決勝でフアン・カルロス・フェレーロを4-6, 7-6, 7-6で破り、韓国の男子テニス選手として最初のATPツアー大会優勝者になった。1ヶ月後、SAPオープンのダブルスでウラジミール・ボルチコフとペアを組み、ダブルスでも初優勝を果たす。その後、2004年2005年の2年連続で全仏オープンの3回戦に進出した。3度目のオリンピック出場となった2004年アテネ五輪でも、初めて男子シングルスの初戦を突破し、チリ代表のフェルナンド・ゴンサレスとの2回戦に進出している。2004年は、全米オープンでも4年ぶりの3回戦に勝ち上がり、アンドレイ・パベルに敗れた。

李亨澤は2007年、韓国のテニス選手として史上初の世界ランキング50位以内に入った。当年度の成績は、ウィンブルドンで初の3回戦進出と、全米オープンで4回戦進出がある。李は3回戦でアンディ・マリーを破り、2000年以来7年ぶり2度目の4回戦に勝ち上がったが、4回戦で第4シードのニコライ・ダビデンコに1-6, 3-6, 4-6で敗れた。

李亨澤は2009年に現役を引退した。その後2013年に現役復帰を発表し2015年までチャレンジャー大会を中心に出場した。

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ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 2回 (1勝1敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ (1–1)
サーフェス別タイトル
ハード (1-0)
クレー (0-1)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
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ダブルス: 1回 (1勝0敗)

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4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

さらに見る 大会, 通算成績 ...

外部リンク

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