トップQs
タイムライン
チャット
視点

アンディ・ロディック

アメリカのテニス選手 (1982-) ウィキペディアから

アンディ・ロディック
Remove ads

アンディ・ロディック(Andy Stephen Roddick, 1982年8月30日 - )は、アメリカネブラスカ州オマハ出身の元男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス32勝、ダブルス4勝を挙げた。身長188cm、体重88kg。ATPランキング自己最高位はシングルス1位、ダブルス50位。

概要 アンディ・ロディックAndy Roddick, 基本情報 ...

2003年全米オープン男子シングルス優勝者。ATPツアー・マスターズ1000では5回優勝。有数のビッグサーバーとしても知られ、サービスエース数9074本は歴代4位記録である。

また、現在男子アメリカ人選手シングルス最後のグランドスラム優勝者・世界ランキング1位・年間最終ランキング1位経験者である。

Remove ads

選手経歴

要約
視点

キャリア初期

4歳からテニスを始める。2000年全豪オープン全米オープンジュニアシングルスに優勝し、18歳でプロ転向。2001年春から男子テニス国別対抗戦・デビスカップアメリカ合衆国代表選手に選ばれた。

2003年 全米オープン優勝、No.1へ

2003年全米オープン男子シングルス4大大会初優勝。決勝では当年度の全仏オープン優勝者、フアン・カルロス・フェレーロを6-3, 7-6, 6-3のストレートで倒した。ロディックはこの優勝により、それまで長年アメリカの男子テニス界を支えてきたピート・サンプラスアンドレ・アガシの“後継者”として注目を集めた。その後ロディックは11月3日付けの世界ランキングで1位に上り詰めた。

2004年~2005年 フェデラーとの戦い、不調へ

ロディックはウィンブルドン選手権では2004年2005年の2年連続、決勝でロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になった(フェデラーには2003年の同大会準決勝でも敗れているため、3年連続の苦杯となる)。

2004年アテネ五輪にアメリカ代表選手として、シングルス3回戦でチリ代表のフェルナンド・ゴンサレスに4-6, 4-6で敗退する。オリンピック終了後の全米オープンでは、準々決勝でヨアキム・ヨハンソンに4-6, 4-6, 6-3, 6-2, 4-6のフルセットで敗れ、早い段階で大会連覇のチャンスを逃した。2005年全米オープンでは、1回戦でジル・ミュラーに不覚を取り、6-7, 6-7, 6-7のストレートで敗退した。

2006年~2009年 再びフェデラーへ挑戦

2006年全豪オープンで、ロディックは4回戦でマルコス・バグダティスに4-6, 6-1, 3-6, 4-6で敗退する。その後、ウィンブルドンでは3回戦でイギリスの新星アンディ・マリーとの“アンディ対決”に敗れてしまった。このとき世界ランキングは12位まで落ちている。ウィンブルドン選手権の終了後、ロディックは7月26日から新コーチとして往年のスーパースターだったジミー・コナーズを招聘した。コナーズに師事し始めた後、全米オープンで3年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、またもやフェデラーに2-6, 6-4, 5-7, 1-6で敗れて準優勝に終わった。

その後2年低迷していったが、名コーチであるラリー・ステファンキを新たに迎え、プレースタイル改善を図っていき、2009年ウィンブルドンでは、三度目の決勝に進出しフェデラーに挑戦したが、7-5, 6-7, 6-7, 6-3, 14-16のフルセットの末惜しくも敗れ、またも準優勝に終わった [1]

キャリア後半等

ロディックは長い間クレーコート開催の全仏オープンと相性が悪く、初出場時の2001年に3回戦まで進出した後は1・2回戦敗退止まりの成績が続いていたが、ようやく2009年に初の4回戦進出を決めたが、第11シードのガエル・モンフィスに4-6, 2-6, 3-6のストレートで完敗した。

デビスカップアメリカ合衆国代表選手としても、2007年にチームを12年ぶりの優勝に導いた。

プライベートにおいては2009年4月17日に、2007年秋以降交際を続けていた水着モデルのブルックリン・デッカーと結婚した。その人気を生かし、児童虐待などの防止を呼びかけるチャリティーリストバンドをプロデュースするなど、社会的な活動も行っている。

2012年、第20シードとして出場した全米オープンの開催中で、自身の30回目の誕生日である8月30日に、現役引退を表明した。「ずっとこの大会で引退したいと思っていた。来季を戦う体力の不安があり、1回戦を戦って決めた」と記者会見で語った[2] 。同大会4回戦にて、フアン・マルティン・デル・ポトロに7-6, 6-7, 2-6, 4-6で敗退し、現役を引退した。

ロディックは2017年に国際テニス殿堂入りを果たした。

Remove ads

プレースタイル等

Thumb
ロディックのサーブ、2004年

209~242 km/hのサーブを繰り出すビックサーバー。全身の力を効率よく理想的に使ったダイナミックなサーブでエースを量産する。またセカンドサーブで打つキックサーブやスライスサーブも強力。

2003年~2004年当時

荒削りで若干安定性の面で欠ける部分はあるが、スウィング・スピードが非常に速いフォアハンドも武器であった[3][4]。 ただし、サーブとフォアハンドに比べて、フットワーク、ストローク力等のレベルの低さは著しい。サーブやその次のフォアハンドで決められない場合、チャレンジャーレベルと揶揄されることもあった。 なお逆に伸びしろは一番と「未完の大器」と期待されていた時期でもある。

2006年以降

フェデラーに全く歯が立たないことから、安定性を求めトップスピン系フォアハンドを多用したり、ネットプレーにチャレンジしたり、プレースタイルに変化を求めたが、なかなか成功するまでに至らず、低迷。

しかし、このロディックのプレースタイル変更の取り組みは、名コーチであるラリー・ステファンキを迎えた晩年の2009年ウィンブルドンにて、成果を見せる。「ビックサーブを軸としたフォアハンド、ネットプレーを使った速攻」「ボディへの鋭いスピンを効かせたセカンドサーブ」「冷静な粘り強さ」を特徴として勝ち進む。フルセットの熱戦となった準々決勝ヒューイット戦、トータル獲得ポイントでは劣っていたにもかかわらず勝負強さを発揮/競り勝った準決勝のマレー戦、そして最後は力尽きたが7-5、6-7、6-7、6-3、14-16と最後にブレイクされるまで37ゲームもサーブキープを続けた決勝フェデラー戦と[5]と、名勝負を繰り広げている。ただ2010年以降、年齢的問題、肩の怪我により急激に衰えを見せており、この輝きが続くことはなかった。

Remove ads

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 52回 (32勝20敗)

大会グレード
グランドスラム (1–4)
ATPファイナルズ (0–0)
ATPツアー・マスターズ1000 (5–4)
ATPツアー500 (5–3)
ATPツアー250 (21–9)
サーフェス別タイトル
ハード (21–15)
クレー (5–2)
芝 (5–3)
カーペット (1–0)
さらに見る 結果, No. ...

ダブルス: 8回 (4勝4敗)

さらに見る 結果, No. ...
Remove ads

4大大会優勝

イギリスの旗 ウィンブルドン準優勝3度:2004, 05, 09年〕
さらに見る 年, 大会 ...

成績

4大大会シングルス

さらに見る 大会, 通算成績 ...

大会最高成績

さらに見る 大会, 成績 ...

世界ランキング

2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
順位 156 14 10 1 2 3 6 6 8 7 8 14 39
Remove ads

対戦成績

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads