トップQs
タイムライン
チャット
視点
東京航空交通管制部
日本の埼玉県所沢市にある航空交通管制部 ウィキペディアから
Remove ads
東京航空交通管制部(とうきょうこうくうこうつうかんせいぶ)は、埼玉県所沢市並木に所在する航空交通管制部(国土交通省の地方支分部局)である。部内の航空管制機関である東京管制区管制所(英語: Tokyo area control center; Tokyo ACC)で、航空路管制業務や進入管制業務などを行う。


東京航空交通管制部の位置(埼玉県)
東京管制部は北海道から関東地方、東海地方の一部、近畿地方南部を管轄する[1]。施設は所沢飛行場の跡地に設けられ[2]、所沢航空記念公園に隣接する。また付近には在日米軍の所沢通信基地が存在する。
歴史
- 1949年:電気通信省航空保安庁、入間川保安事務所設置
- 1950年:所管が運輸省航空庁に変更
- 1952年:航空庁が航空局へ昇格。航空管制官第1期生訓練開始[3]
- 1955年:占領軍ジョンソン基地(現:入間基地)へテイクオーバー要員として管制官を派遣
- 1959年:運輸省航空交通管制本部設置。7月1日、航空路管制業務が米軍から日本国政府へ全面移管[4]
- 1963年:管制本部がジョンソン基地から東京都東久留米市へ移転
- 1965年:箱根航空路監視レーダー(ARSR)設置
- 1966年:航空交通管制本部を廃止、札幌・東京・福岡の3地区に航空交通管制部設置
- 1971年:雫石上空で航空自衛隊の戦闘機と全日本空輸の旅客機が空中衝突し墜落(全日空機雫石衝突事故)
- 1972年:箱根ARSR正式運用開始(聞く管制から見る管制へ)
- 1977年:東京航空交通管制部が東久留米市から所沢市へ移転
- 1978年:AEIS及び洋上管制データ表示システム運用開始
- 1979年:日本初の女性管制官配置
- 1982年:システム統制業務運用開始
- 1983年:航空路レーダー情報処理システム(RDP)運用(見る管制から読む管制へ)
- 1983年:大韓航空機撃墜事件
- 1985年:日本航空123便墜落事故
- 1990年:いわき洋上航空路監視レーダー(ORSR)運用開始
- 1991年:新管制卓運用開始
- 1992年:VHFデータリンク供用開始
- 1995年:高速デジタル通信ネット供用開始
- 2001年:日本航空機駿河湾上空ニアミス事故
- 2006年:洋上管制業務を航空交通管理センターに移管。
- 2023年:一部空域を33,500フィートを境に上下分離を実施。一部の高高度管制を福岡航空交通管制部へ移管。
- 2024年:
- 2025年:一部の高高度管制を福岡航空交通管制部へ移管し、再編を終了する。
Remove ads
担当エリアと周波数
要約
視点

東京管制区管制所では、北海道から関東地方、東海地方の一部、近畿地方南部を管轄しており、管轄空域を以下のセクターに分割して交通管制業務を行っている[1]。コールサイン(無線呼び出し符号)は東京コントロール(Tokyo Control)。管制所と航空機の間の通信は、遠隔地に設けた対空通信局を通じて行っている[5]。
東京管制区管制所のバックアップとして福岡航空交通管制部内に非常用管制卓がある。コールサインは東京コントロールF(Tokyo Control F)。
Remove ads
配置職種
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads