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東谷村 (福岡県)

日本の福岡県企救郡にあった村 ウィキペディアから

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東谷村(ひがしたにむら)は、現在の福岡県北九州市東部にあたる、旧企救郡に存在した村。1948年9月10日、当時の小倉市に編入され消滅した。かつての村域は現在の北九州市小倉南区のみならず、同市そのものの最南部に位置し、京築・田川地域と接する。

概要 ひがしたにむら 東谷村, 廃止日 ...

歴史

1889年、町村制施行により、呼野・小森・木下・井手浦などの地域が統合され、企救郡東谷村として発足。同時に誕生した西谷村中谷村と併せて、「三谷(さんたに)地区」と呼ばれることとなった。

その後、郡内の他の町村が合併などを繰り返し、最終的に門司市小倉市に収斂されていく中、東谷村は山間の地で典型的な農村地帯であったことから、他の町村と合併することなく、第二次世界大戦の終結を村として迎えた。ちなみに、西谷村と中谷村は1941年太平洋戦争の開戦を前にして小倉市に編入された。「小倉南区役所両谷出張所」の「両谷」とは、小倉市が西谷村と中谷村を編入した際に旧両村役場を統合して、新たに市役所の出先機関を置いたことによる。

東谷村が小倉市に編入されたのは米軍の占領下にあった1948年。他の町村はすべて終戦までに門司市、小倉市となっていたため、企救郡で最後まで残っていた自治体であった。今も、かつての村役場を引き継いだ小倉南区役所の出張所は「東谷」出張所であり、旧村域には、ほかにも「東谷」の名を冠した組織や施設が多く存在する。

行政区域の変遷

  • 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、石原町村・新道寺村・母原村・井手浦村・木下村・市丸村・小森村・呼野村が合併して企救郡東谷村が成立。
  • 1948年9月10日 - 小倉市へ編入され消滅。
  • 1949年9月1日 - 小倉市大字新道寺の一部が京都郡椿市村へ分離。
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