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松井清隆
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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松井 清隆(まつい きよたか、1961年1月4日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
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略歴
京都西高校・大阪体育大学を経て日本鋼管サッカー部、清水エスパルスでプレーしたGK。ポジショニングに優れた80年代の日本を代表するGKの一人で、日本代表として15試合に出場。特に1985年のワールドカップ・メキシコ大会アジア1次予選、敵地の北朝鮮戦における神がかり的なプレーは、諸般の事情によりTV中継がなかったにも関わらず、取材した数少ないメディア関係者を通じて語り草となっている[1]。同時期に代表でプレーした森下申一は学年が同じでGKとしての能力も同じように高く、良きライバルとして共に日本代表を支えていた。
引退後は指導者の道へ進み、2004年から2006年までは柳下正明監督の下でコンサドーレ札幌のGKコーチを務め、2007年に三浦俊也監督体制移行後はトップチームコーチを務めた。2011年より近畿大学サッカー部の監督に就任した。2020年10月に同大学サッカー部員による大麻使用が発覚して、サッカー部は無期限の活動停止処分となった。翌2021年2月2日付で近畿大学による監督退任勧告を受け入れて辞任した[2][3]。
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所属クラブ
個人成績
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 3回出場:1984年、1986年、1987年
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 3試合0得点
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 15試合 0得点(1984-1988)
出場
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指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
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