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1985年のJSL
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1985年のJSL(第21回日本サッカーリーグ1部および第14回日本サッカーリーグ2部)は、1部が1985年(昭和60年)9月6日から1986年(昭和61年)3月26日まで、2部の上位リーグが1985年(昭和60年)9月1日から11月4日まで行われた。このシーズンから本格的な秋春制に移行した。
優勝は、1部が古河電気工業サッカー部で2部が松下電器産業サッカー部であった。
JSL1部
要約
視点
古河電工が得意の堅守速攻が冴え渡り9年ぶりの2度目のリーグ優勝を達成した。また日本鋼管や本田技研といったダークホースの健闘が光ったシーズンとなった。開幕前に優勝候補と目されていた読売クラブや日産自動車は日本代表に多くの選手を送り出していた事もあって苦戦が続き不本意なシーズンとなった[2]。
主な話題として、1986年2月8日の第16節、三菱対日立戦で西野朗(日立)が8試合連続得点を達成し、釜本邦茂の記録(釜本は2度記録)に並んだ[2]。2月1日の第15節、読売対フジタ戦で現役高校生の菊原志郎(読売クラブ)が後半から途中出場し、16歳7ヶ月というリーグ最年少出場を記録[2] した事などが挙げられる。
また、読売に次ぐクラブチームの1部参加となった全日空横浜サッカークラブはシーズンを通じて最下位に低迷し、3月22日の第22節、三菱重工戦で選手6名がボイコット騒動を起こし、選手たちには無期限登録停止処分、クラブには3ヶ月間の公式戦出場停止処分が課された[2]。
今シーズンのキャッチフレーズは「見せてくれ、蹴闘」[2]。モデルにタレントの明石家さんまが起用された[2]。
大会概要
参加クラブ
成績
年間順位
- 住友金属(JSL1部11位)と全日空横浜(JSL1部12位)がJSL2部へ自動降格。
- 松下電器(JSL2部優勝)とマツダ(JSL2部準優勝)がJSL1部へ自動昇格。
優勝・アジアクラブ選手権出場 |
自動降格 |
得点ランキング
アシストランキング
表彰
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JSL2部
要約
視点
JSL2部大会概要
今シーズンより、東西ブロック別による前期と上位・下位リーグによる後期の前後期制を採用した。
JSL2部参加クラブ
JSL2部成績
JSL2部年間順位
1位-6位は上位リーグ、7位-12位は下位リーグ・順位決定戦の結果による。
自動昇格 |
前期
東ブロック
西ブロック
後期
上位リーグ
下位リーグ・東ブロック
下位リーグ・西ブロック
順位決定戦
- 松下電器とマツダがJSL1部昇格。
- JSL2部のチーム数増加により地域リーグへの降格は無し。
- コスモ大協(地域リーグ優勝)、川崎製鉄水島サッカー部(地域リーグ準優勝)、東邦チタニウムサッカー部(地域リーグ3位)、NTT関西サッカー部(地域リーグ4位)がJSL2部昇格。
JSL2部表彰
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注釈
- 試合数・ゴール数は、下位リーグ順位決定戦はカウントしていない
出典
参考文献
関連項目
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