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松原剛 (演劇研究者)

日本の演劇研究者 ウィキペディアから

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松原 剛(まつばら つよし、1930年昭和5年) - 2023年令和5年)10月13日)は、日本演劇研究者。日本大学芸術学部名誉教授。中国の中央戯劇学院名誉教授、中国戯曲学院名誉教授。

概要 まつばら つよし 松原 剛, 生誕 ...

経歴

青年期

1930年(昭和5年)、長崎県南松浦郡魚目村浦桑郷[1](現・新上五島町)に生まれ、魚目村立魚目小学校[1]魚目村立魚目中学校[2]を卒業した。

演劇研究者として

1959年(昭和34年)に日本大学芸術学部の教員となり[3]、演劇学科の主任教授を務めた。2000年(平成12年)に日本大学芸術学部教授を退職し、その後は日本大学大学院芸術学研究科の講師を務めた[3]

日本大学で教員を務める傍らで、京劇中国舞踊英語版の日本公演、日本と中国の学生の交流、中国の舞台芸術の日本への紹介などを行った[4]。1988年(昭和63年)には中国・北京市中央戯劇学院名誉教授に就任した[3]。1991年(平成3年)から2000年(平成12年)には日中演劇交流話劇人社常務理事を務め、1998年(平成10年)には中華人民共和国国務院によって外国専家友誼賞を受賞した[3]。2008年(平成20年)1月には中央戯劇学院で「日中戯劇交流50年展」が開催され、同年には中国・北京市の中国戯曲学院名誉教授に就任した[3]

2002年(平成14年)から2006年(平成18年)には全国芝居小屋連絡協議会会長を務め、日本全国の芝居小屋の復活などにも尽力した[4]

郷土に関する役職

郷土に関する役職としては、1985年(昭和60年)から1996年(平成8年)には長崎県人クラブ常務理事を務め、2002年(平成14年)から2008年(平成20年)には東京五島会会長を務めた[3]

晩年

2020年(令和2年)10月17日、母校である新上五島町立魚目小学校に顕彰碑「夢と希望の碑」が建立された[5]。2023年(令和5年)10月13日、92歳で死去した[4]

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著書

単著
  • 『現代中国演劇考』新評論社、1991年
  • 『五島列島・芝居小屋・中国演劇』ゆにおん出版、2009年
共著
  • 大山禮二 編『舞台芸術専門家という仕事』ぺりかん社、1996年

脚注

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