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松園家

奈良華族の家系 ウィキペディアから

松園家
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松園家(まつぞのけ[1][2])は、藤原北家二条家庶流にあたる華族男爵家。いわゆる「奈良華族」の一家[3]

概要 松園家, 本姓 ...

歴史

左大臣二条治孝の十九男松園隆温は、奈良興福寺大乗院門跡となったが、明治元年(1868年)4月に勅命により復飾し、明治2年(1869年)2月に家名を松園と定め、3月に堂上格を与えられた[4][5]

明治3年に定められた松園家の家禄は、現米で220石[6]。明治8年(1875年)3月に九条尚忠の第二子で隆温の養子にして法弟となっていた松園尚嘉が家督を継いで華族に列した[4][5]

明治9年の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は、7910円40銭(華族受給者中430位)[7]。明治前期に尚嘉の住居は、堺県添上郡にあった[8]

明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に男爵に叙された[3]。その後治忠が男爵位を継いだのを経て、鷹司熙通公爵の三男信淳が治忠の養子に入って爵位を継いだ[4]。彼の代に松園男爵家の邸宅は東京市世田谷区下馬町にあった[4]

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系図

実線は実子、点線(縦)は養子。
松園隆温1[† 1]
 
 
 
尚嘉2[† 2]
 
 
 
治忠3
 
 
 
信淳4[† 3]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6[† 4]乗光5[† 5]
 
 
 
 
 
 
 
 
 

系譜注

脚注

参考文献

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