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松平信正 (大河内松平家)
江戸時代の人物、松平信復四男 ウィキペディアから
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松平 信正(まつだいら のぶまさ)は、遠江浜松藩第2代藩主・三河吉田藩初代藩主・松平信復の四男。
生涯
寛延元年(1748年)10月13日、松平信復の四男(ただし長男と三男は早世しているため次男として扱われる)として江戸で生まれる。宝暦7年(1757年)10月1日、叔父中川久貞の屋敷に招かれ能を見物した。明和3年(1766年)12月、従兄弟にあたる美濃高富藩主・本庄道信の急養子にという話が持ち上がるが、道信と同年齢であったことが障害となり、結局弟の音次郎(道揚)が本庄家に養子に入ることで決着した。
明和5年(1768年)7月22日に谷中下屋敷で死去した。享年21。父信復は国元の吉田に在城中であったが、この訃報にショックを受けたこともあってか体調を崩し、約2か月後の9月19日に死去している。
参考文献
- 『豊橋市史』第6巻
- 『豊橋市史史料叢書 吉田藩江戸日記』
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