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松平宗昌

江戸時代前期から中期の大名。越前松岡藩2代藩主、越前福井藩9代藩主。従四位下・侍従。松平昌勝の三男 ウィキペディアから

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松平 宗昌(まつだいら むねまさ)は、江戸時代前期から中期の大名越前国松岡藩2代藩主、のち越前福井藩9代藩主[注釈 1]官位従四位下侍従・内匠頭。

概要 凡例松平 宗昌, 時代 ...
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生涯

延宝3年(1675年)6月23日、松岡藩初代藩主・松平昌勝の3男として松岡にて誕生した。母は中根氏(葉津)。幼名は仙鉄。

元禄6年(1693年)、最初は昌興(まさおき)と名乗る。父の死去により越前松岡藩を継ぐ。このときの名乗りは昌平(まさひら)である。享保6年(1721年)に本家の藩主となっていた弟・松平吉邦が嗣子無くして死去したため、12月11日にその跡を継ぎ、18日に侍従に任じられた。このとき、松岡藩は本家に併合されて廃藩、福井藩は合計30万石となった。8代将軍・徳川吉宗より偏諱を拝領して宗昌(むねまさ)と改名する。

40代半ばを過ぎての本家相続であり、当時としては既に跡継ぎを望むには高齢で、かつ後継者がなかった。そのため、藩主就任と同時に幕府の指示により、白河新田藩主松平知清の次男宗矩を養嗣子とする。福井藩に相次いだ当主後継を巡る御家騒動の再発を防ぐための、幕府の事前措置と思われる。宗矩は先代藩主・吉邦の一人娘を正室に迎える。享保9年(1724年)4月27日、宗昌は江戸で死去し、跡を宗矩が継いだ。享年50。墓所は東京都港区虎ノ門(西ノ窪)の天徳寺。のち東京都品川区南品川の海晏寺に改葬された。宗昌の死により松平忠昌以来の男系の血筋は断絶した。

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系譜

  • 父:松平昌勝
  • 母:葉津 - 中根氏
  • 養父:松平吉邦
  • 正室:菊姫(? - 1712年) - 小笠原忠雄の養女、松平頼元の五女
  • 側室:茂土(? - 1769年) - 杉山五郎大夫の娘
    • 長男:幻空大童子(? - 1720年)
    • 長女:勝姫(1722年 - 1740年) - 隔芳院/融芳院、毛利宗広正室
  • 生母不明の子女
    • 次男:千五郎(1723年 - 1724年)
  • 養子:松平宗矩(1715年 - 1749年) - 松平知清の次男

脚注

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