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松平忠名

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松平 忠名(まつだいら ただあきら[4][1])は、江戸時代中期の大名摂津国尼崎藩の第2代藩主桜井松平家11代当主。

概要 凡例松平 忠名, 時代 ...
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略歴

桜井松平家の尼崎藩初代藩主・松平忠喬の次男として誕生。『寛政重修諸家譜』によれば正徳4年生まれ[5]。ただしこれは幕府に届け出た「公式」の誕生年であり(官年参照)、尼崎藩の資料では正徳5年(1715年)8月6日生まれ[6][注釈 2]

兄の勝千代は早世しており[1]、享保11年(1726年)8月15日に尼崎藩の世嗣として将軍徳川吉宗に御目見した[5]。享保13年(1728年)12月21日、従五位下・兵庫頭に叙任[5]

寛延4年(1751年)3月20日、父の隠居により家督を継承[5]。翌21日に遠江守に遷任[5](「遠江守」は忠喬が名乗っていた官名であり、忠喬は同日に石見守に改めている[1])。同年6月23日、はじめて領地に赴くための暇を賜う[5]

幕命により、朝鮮通信使の接待役を務めている。

寛政重修諸家譜』によれば明和3年(1766年)12月26日に江戸で死去[5]。尼崎藩の資料では12月24日とある[6][注釈 2]。52歳没[6](「公式年齢」では53歳没[5])。跡を3男・忠告が継いだ。

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系譜

特記事項のない限り、『寛政重修諸家譜』による[5]。子の続柄の後に記した ( ) 内の数字は、『寛政譜』の記載順。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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