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松平忠淳
日本の江戸時代の大名 ウィキペディアから
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松平 忠淳(まつだいら ただあつ)は、江戸時代後期の大名。肥前国島原藩主。深溝松平家16代当主。官位は従五位下・主殿頭。
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略歴
天保12年(1841年)7月20日、伊予国宇和島藩7代藩主・伊達宗紀の五男として誕生した。安政6年(1859年)に先代の島原藩主で妹婿の松平忠精が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・主殿頭に叙位・任官する。

万延元年(1860年)6月2日、脚気から衝心を引き起こしたのが原因で、江戸にて死去した。享年20。嗣子が無かったため、養子の忠愛(松平忠篤(深溝松平家13代・松平忠侯の弟)の長男)が跡を継いだ。
系譜
父母
養子
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