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松平町

日本の愛知県東加茂郡にあった町 ウィキペディアから

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松平町(まつだいらちょう)は、かつて愛知県東加茂郡にあった。現在の豊田市松平町である。

概要 まつだいらちょう 松平町, 廃止日 ...

松平氏徳川氏の発祥地である松平郷を中心とした町である。昭和40年代の広域合併で豊田市に編入合併され、平成の大合併以前の豊田市の南東部の地域に該当した。

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地理

愛知県のほぼ中央部にある[1]美濃三河高原の南西端に位置し、西側は岡崎平野の一部となっている[1]。面積は43.84 km2であり、東加茂郡の自治体の中では最も小さかった。

矢作川やその支流の巴川沿いの町である。現在、町の西部は住宅開発が進み、東海環状自動車道豊田松平ICが設置されている。松平郷などの町の東部は山間部の農村地帯である。

隣接していた自治体

沿革

江戸時代末期、この地域は三河国加茂郡であり、交代寄合松平郷松平家領、奥殿藩領、吉田藩領、旗本領、寺社領などであった。

教育

高等学校
中学校
小学校

経済

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足助と九久平の中間付近を流れる巴川

江戸時代には岡崎城足助を結ぶ足助街道が通っており、岡崎や足助との結びつきが強かった[4]。足助街道に沿って矢作川支流の巴川が流れているが、松平は巴川の最も上流の川港であり、物資を積み替えて足助に運ぶ拠点となっていた[4]

自動車が交通の主流となった後も、岡崎市足助町間には毎日10数往復の路線バスが運行されており、やはり岡崎との結びつきが強かった[4]。しかし、特に1960年代から豊田市が自動車産業で発展し、豊田市との結びつきが強まっていった[5]。1965年時点では669人が豊田市に通勤し、172人が岡崎市に通勤していた[5]

神社・仏閣

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高月院

娯楽・祭礼

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巴川金魚花火
  • 弁天座 - 大正時代から昭和30年代まであった劇場・映画館。なお、1960年(昭和35年)の東加茂郡には、西盛座(足助町)、足助劇場(足助町)、小渡劇場(旭町)も含めて4館の映画館があった[注 1]
  • 金魚花火 - 大正時代から昭和30年頃にかけて、巴川の松生嶋付近で「金魚花火」という祭りが行われていた。近年、「巴川金魚花火」として復活した(後援:松平観光協会)。花火の前に地元男性が「雲助道中」を歌いながら九久平商店街を練り歩く[7]

脚注

関連項目

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