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松平長孝
日本の江戸時代中期~後期の大名。出雲広瀬藩(出雲松江藩分家)3代藩主松平近朝三男で、美作津山藩3代藩主松平長煕養子。津山藩4代藩主。従四位下越後守・侍従 ウィキペディアから
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松平 長孝(まつだいら ながたか)は、江戸時代中期の大名。美作津山藩4代藩主。官位は従四位下・越後守、侍従。
生涯
享保10年(1725年)7月30日、出雲広瀬藩3代藩主・松平近朝の三男として誕生した。
はじめ広瀬藩本家の出雲松江藩主・松平宣維の養子であったが、一族である津山藩3代藩主・松平長煕が嗣子無くして享保20年(1735年)に早世したため、急遽その養子となって家督を継いだ。長じてのち、藩政においては庄屋制度を廃止して地方目付を配置するなど、それなりの政治力を見せたが、成果を見る前に宝暦12年(1762年)閏4月29日に死去した。享年38。跡を長男の康哉が継いだ。
系譜
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