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松本鼎 (陸軍軍人)

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

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松本 鼎(まつもと かなえ、1856年2月10日安政3年1月5日) - 1928年1月23日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将位階正四位勲等勲二等・軍功は功三級

経歴

島根県簸川郡大社町で、出雲国造千家家北島家に仕える士族松本礼次郎の長男として生まれる。父は美保関町森山出身の志士松本古堂(巌)の門人で、以前は寺本易直と名乗っていたが、養子に入り礼次郎となった。

1878年(明治11年)12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、翌年2月、砲兵少尉任官。1901年(明治34年)2月、野戦砲兵第12連隊長に就任。1902年(明治35年)11月、砲兵大佐に昇進した。

1903年(明治36年)5月、陸軍野戦砲兵射撃学校長となり、1904年(明治37年)2月、第1軍砲兵部長に発令され日露戦争に出征。1906年(明治39年)7月、野戦砲兵第10連隊長に異動し、1907年(明治40年)11月、陸軍少将に進級し野戦砲兵第3旅団長となった。

1912年(明治45年)7月、野戦砲兵第1旅団長に発令され、1913年(大正2年)7月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に就任した。1914年(大正3年)5月に待命となり、同年8月、予備役に編入された。1919年4月1日、後備役となる[1]。昭和3年1月20日、東京に於いて卒去。墓所は杵築の神光寺。

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栄典

位階
勲章等

脚注

参考文献

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