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島根県
日本の都道府県 ウィキペディアから
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島根県(しまねけん)は、日本の中国地方(山陰地方)にある県。県庁所在地および最大都市は松江市。
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本州西部に位置し、山陰地方の西側を占める。離島の隠岐諸島や竹島[注釈 1]なども含む。
旧令制国における出雲国・石見国・隠岐国の3国に相当する。現在でも県内の地域分類として出雲地方・石見地方・隠岐地方の3区分が用いられることがある。
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名称
島根県の名称の由来は、県庁の置かれた松江城が、かつて旧島根郡(嶋根郡)に属していたためとされる。「嶋根」の名は、古代の『出雲国風土記』において八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が命名したと伝えられる[1]。
1871年(明治4年)7月の廃藩置県の直後には旧松江藩の領地に『松江県』が設置された。その4ヶ月後、同年11月に松江県は周辺の他県と合併して改称し、ここに『島根県』が成立した[1]。
この改称の理由については、「明治維新において松江藩が倒幕に消極的であったため」と伝えられている[1]。
尚、松江城下町(現在の松江市)は松江城が立地する島根郡(大橋川以北。橋北)だけでなく、意宇郡(大橋川以南。橋南)にもまたがる。
地理
要約
視点
広袤(こうぼう)
国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、島根県の面積は6707.79平方キロメートルである[2]。北東方向から西南方向へかけて、細長い形に広がった県である。
国土地理院地理情報 によると島根県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは155.45 km、南北の長さは326.52kmである[注釈 2]。
北端 北緯37度14分43秒 東経131度52分5秒 ↑ | ||
西端 北緯34度30分15秒 東経131度40分4秒← | 中心点 北緯35度46分26秒 東経132度31分38.5秒 | 東端 →北緯36度16分14秒 東経133度23分13秒 |
↓ 南端 北緯34度18分9秒 東経131度49分13秒 |
隣接都道府県 鳥取県 - 広島県 - 山口県
出雲地方
石見地方
隠岐地方
自然公園
ラムサール条約登録地域
気候
県内全域が日本海側気候であるが、日本海側気候の地域としては最西南端にあるため比較的温和な気候で沿岸部に豪雪地帯はない。しかし年間を通じて湿度が高く、降雨回数も多い。曇り・雨の日が晴れの日より多い。
東部沿岸部(出雲沿岸部および宍道湖周辺)
松江市や出雲市など東部の沿岸部は、西部に比べると冬期の平均気温が低いものの、松江市の1月平均気温は4.3℃と、京都市や太平洋側の大都市である愛知県名古屋市とほとんど同じで、比較的温暖である。出雲市より松江市と東へいくほど雪が多いが、松江市の年降雪量は89cmと、鳥取県の米子市の133cmと比べると少なくなっている。年に1,2回、15 cm - 30cm程度のまとまった積雪があるものの、最低気温が比較的高いこともあり数日で溶けることがほとんどで、根雪となった年は非常に少ない(松江市の根雪は1961年以降で2011年/1984年/1977年/1963年の4回のみ)。しかしながら、大陸に近いために数年に一度の猛烈な寒気団に覆われると、沿岸部でも日中の気温が氷点下の真冬日になることもある。夏は熱帯夜も数日あるが、山陽地方の沿岸部と比べると暑さは穏やかである。
西部沿岸部(石見沿岸部)
浜田市、大田市、益田市、江津市など県西部の沿岸部においては冬期の気温は比較的高めで1月の平均気温は約5.0 - 6.0℃と東京都心や大阪市とほとんど同じで、温暖である。日本海側気候から九州型太平洋側気候への遷移地帯に属し、冬期の降水は雨が多く、積雪しても数センチメートル程度にとどまることが多く、大雪となることは少ない。梅雨末期に梅雨前線の影響で大雨となることがあり、過去にも山陰豪雨(1983年)や2013年の豪雨で被害を受けた地域がある。夏は熱帯夜も数日あるが、山陽地方の沿岸部と比べると暑さは穏やかである。
内陸部
内陸部は1月平均気温が0.0 - 3.0℃程と寒さが厳しく、飯南町赤名(-13.5度、2012/2/19)、弥栄(-16.3度、2012/2/19)、瑞穂(-15.2度、2012/2/19)、六日市(-13.4度、1981/2/28)などでは氷点下15℃程度まで冷え込んだことがある。[3] 西部の津和野町と吉賀町を除いて全域が豪雪地帯に指定されており、標高の高い地域では1m程度の積雪に達する年もある。夏の夜は涼しく、熱帯夜となることはほとんどない。
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自治体
県下には8市・5郡・10町・1村がある。
島根県では、町は川本町のみ「まち」で、それ以外は全て「ちょう」、村は「むら」と読む。
東部(出雲地域)
旧出雲国の区域(ただし出雲市の一部、飯南町の一部は旧石見国)
- 松江圏域
- 出雲圏域
- 雲南圏域
西部(石見地域)
- 浜田圏域
- 益田圏域
- 大田圏域
隠岐(隠岐地域)
旧隠岐国の区域
- 隠岐圏域
市町村合併
都市圏
- ※かつて八束町、美保関町は米子都市圏の一部を構成していた。
友好交流自治体
歴史
原始・古代

- 島根県下では、旧石器時代の遺跡は松江市とその周辺および中国山地の中央部辺り(旧瑞穂町)とで15カ所ほど知られている。宍道湖北岸の遺跡からは瑪瑙製台形様石器[注釈 3]や瑪瑙もしくは玉髄製の台形様石器、石核、剥片、凝灰岩製石核などが出土している。
- 旧石器時代 約2万年前に姶良火山灰(AT)が降る。また隠岐産の黒曜石が出回り始める。
- 縄文時代の草創期(約1万3千-1万年前)や早期(約1万年前-6千年前)には、古中海湾沿岸部に縄文「集落」が形成され、海面上昇で古宍道湖が出来、沿岸に縄文人が進出してくる。続く前期(約6千年前-5千年前)には、アカホヤ火山灰(AKh)が降る。古中海湾・古宍道湖湾の広がり最大となる。山陰各地にも縄文集落が現れ、貝塚ができる。中期(約5千年前-4千年前)には瀬戸内地方や九州地方との交流進む。山間部にも交流拠点集落現れる。後期(約4千年前-3千年前)に入り、大きな縄文集落が作られる。このころに三瓶山の大平山の噴火が起こる。噴出物の流失物で出雲平野の骨格できる。晩期(約3千前-2千数百年前)には、山陰西部で九州との交流活発になる。打製石器の土掘り具(石斧など)が盛んに使用されるようになる。
- 県東部の出雲地方は、古代日本において最も文化の発達した地域の一つであった。特に弥生時代においては、大量の青銅器が出土した荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡や、大型の四隅突出型墳丘墓(安来市古代出雲王陵の丘、出雲市西谷墳墓群)があり早期に鉄器を有するなど、特徴的でかつ先進的な文化が山陰一帯に存在し、その中心的勢力が島根東部から鳥取県西部にかけて存在した。→詳細は「古代出雲」を参照
- 古墳時代には雲南市加茂町の神原神社古墳から「卑弥呼の鏡」と言われる景初3年(239年)銘のある三角縁神獣鏡が出土している。6世紀半ばごろに山代二子塚古墳(松江市)という94メートルの大前方後方墳が築かれる。少し遅れておよそ91メートルの今市大念寺古墳(出雲市)が築かれる。出雲の東西に拮抗する大古墳が築かれたが、7世紀初頭には二子塚のすぐ東隣に一辺45メートルの大型方墳(山代方墳)を築いている。前方後方墳から方墳に移行したは大和政権の大王陵の変化と同じである。
- 奈良時代に記された『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』に、出雲を舞台としたスサノオや大国主の神話が語られるなど、朝廷においてもその存在は大きなものであった。また神話にその創建が語られている出雲大社は、代々出雲国造家がその祭祀を司り現在に至っている。
中世
- 隠岐は古来より流刑の地とされ、鎌倉期の後鳥羽上皇・後醍醐天皇をはじめ多くの貴人が流されたが、これにより京文化が伝播して隠岐独自の文化が生まれ、また明治維新期の隠岐騒動にも結びついたと言われる。
- 県西部の石見地方には、飛鳥時代を代表する歌人柿本人麻呂の伝承が多く残されており、この地域を詠んだ歌が多く『万葉集』に残されている。
- 鎌倉時代の石見地方では、源平の争乱で、西国では少ない源氏方として一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦いで軍功をあげた藤原兼高が益田兼高と改め、所領の益田庄に七尾城を築城して本拠とした。
- 室町時代は京極氏や山名氏がこの地の守護大名となった。戦国時代に入ると、守護代であった尼子経久が京極氏を追放し、月山富田城(安来市)を拠点として中国地方一帯に覇を唱え、たたら製鉄の経営を行った。またこの時期に開発された大森銀山は、大内氏と尼子氏による熾烈な争奪戦が繰り広げられたが、最終的に毛利氏によって支配され、江戸幕府成立後に幕府直轄領となった。

近世
- 出雲地方
- 江戸時代には堀尾吉晴が出雲・隠岐24万石で入封し、松江城を築いた。松江藩はその後は京極氏を経て、徳川家康の流れを汲む結城松平氏の松平直政が入国し、幕末に至った。なお、松江藩には広瀬藩と母里藩(ともに1666年創設)という支藩があり、一時的に松江新田藩(1701年から1704年)という支藩も置かれていた。松江藩ではたたら製鉄の隆盛で、安来などの港が北前船で繁栄した。
- 石見地方
- 隠岐地方
近・現代


- たたら製鉄が衰退し、木炭産業に移行するとともに、鉄山師の一部は雲伯鉄鋼合資会社の設立などにより和式製鉄法の近代化を行い現在に至っている。一部、古来のたたら製鉄が再現され少量操業も行っている。
年表
- 659年(斉明5年) - 出雲国造に命じて神の宮(杵築大社:きづきたいしゃ)を造らせる。1871年(明治4年)に出雲大社と改称。
- 733年 - 『出雲国風土記』成立。
- 1221年 - 承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が隠岐に配流される。
- 1332年 - 後醍醐天皇が隠岐に配流される(元弘の乱)。
- 1333年 - 後醍醐天皇が隠岐から脱出(鎌倉幕府滅亡、建武政権樹立へ至る)。
- 1566年 - 尼子義久が毛利元就に降伏。
- 1600年 - 堀尾吉晴が富田城に入る。
- 1611年 - 松江城築城。
- 1617年 - 亀井政矩が津和野藩主となる。
- 1619年 - 古田重治が浜田藩主となる。
- 1868年 - 隠岐騒動
- 1869年(明治2年)
- 1870年(明治3年)
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)
- 1876年(明治9年)
- 1881年(明治14年)
- 1889年(明治22年)
- 1891年(明治24年) - ラフカディオ・ハーンが松江の塩見縄手に住み、『知られざる日本の面影』を執筆。
- 1908年(明治41年)3月8日 - 県内に暴風雨。死者41人[5]。
- 1927年(昭和2年) - 邑智郡川本村が町制施行、邑智郡川本町が発足。
- 1939年(昭和14年)9月 - 赤痢が流行。県内の患者1040人以上[6]。
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1943年(昭和18年)9月19日 - 西日本一帯に集中豪雨。県内は死者約500人、行方不明者14人、家屋全壊約2300戸などの被害[7]。
- 1947年(昭和22年)11月30日から12月1日 - 昭和天皇の戦後巡幸[8]。
- 1952年(昭和27年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年) - 島根県庁の別館から出火、離れの一部の建物を除き約3000坪が全焼。
- 1957年(昭和32年)
- 1969年(昭和44年)
- 2004年(平成16年)8月 - 全国高等学校総合体育大会が島根県を主会場に開催。
- 2005年(平成17年)
- 1月1日 - 飯石郡赤来町、頓原町が新設合併して飯南町が発足。
- 3月22日 - 旧・出雲市、平田市、簸川郡大社町、湖陵町、多伎町、佐田町が合併し、新・出雲市が発足。
- 3月31日 - 仁多郡仁多町、横田町が新設合併して奥出雲町が発足。
- 3月31日 - 旧・松江市、八束郡鹿島町、美保関町、八雲村、玉湯町、宍道町、八束町が合併し、新・松江市が発足。
- 9月25日 - 旧・鹿足郡津和野町、日原町が合併し、新・津和野町が発足。
- 10月1日 - 鹿足郡六日市町、柿木村が新設合併して吉賀町が発足。
- 10月1日 - 旧・浜田市、那賀郡三隅町、旭町、金城町、弥栄村が合併し、新・浜田市が発足。これに伴い那賀郡は消滅。
- 10月1日 - 旧・大田市、邇摩郡温泉津町、仁摩町が合併し、新・大田市が発足。これに伴い邇摩郡は消滅。
- 2007年(平成19年)
- 2011年(平成22年)
- 2012年(平成23年)
- 2018年(平成30年)
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人口
要約
視点
人口規模
最盛期
島根県の人口は、県民歌『薄紫の山脈』の歌詞に「九十万の県民の……」とある[13]ように、1950年代には90万人を超えていた。1955年(昭和30年)には約93万人に達した[14]。
人口減少
しかし、以後は減少傾向が続き2014年(平成26年)には70万人を割った[15]。翌2015年(平成27年)の第20回国勢調査では69万4,352人と記録された。
1920年(大正9年)の第1回国勢調査では71万4,712人であったため、第1回調査に対する人口の増減率では全国の都道府県で本県が最下位となった[14]。また第1回調査での人口を以後の調査で下回った、全国で最初の都道府県となった(太平洋戦争による大規模な疎開の発生によって第6回調査(昭和22年)のみ一時的に急減した東京都を除く)。
地域別に見ると、出雲地域は1950年代から2020年代にかけて50万人前後のほぼ横ばいで推移しているのに対し、石見地域と隠岐地域はそれぞれ38万人から18万人、4万人から2万人と半減しており、二大都市である松江市・出雲市への集積が進んでいる[16]。
義務教育の児童、生徒数の減少は進行中であり、2025年度、県内の分校を含む小学校9校、中学校2校で新入生がゼロとなった[17]。
県外との比較
日本の都道府県人口としては、隣接する鳥取県に次ぎ全国で2番目に少ない。また政令指定都市の中で最少の静岡市よりも少なく、政令指定都市以外では最大の人口の船橋市よりも少ない。人口密度は、西日本では高知県に次いで低い。
人口・面積・人口密度・可住地面積率・可住地面積・可住地人口密度はいずれも高知県のそれに近いが、高知県は高知市に県民のほぼ半分が居住する一極集中型の県なのに対し、島根県は松江市・出雲市に人口が集中している二極集中型の県である。
課題
島根県の『県民ホットライン』には、県民が考える人口減少の要因として「はっきり言って魅力がない」「働ける職場がない」「医療・福祉が十分でない」「人間関係が保守的で変化を拒む気風は煩わしいから嫌だと思われている」などの意見が2015年までに寄せられた[14]。
県はそれらの意見に対し、解決策として「県内産業の振興と雇用の確保」「企業誘致の推進と観光振興」「売れる農林水産品づくり」「県外からのUターン・Iターン対策」の4つを提唱した[14]。
統計
2018年(平成30年)の合計特殊出生率は1.74で、沖縄県に次いで全国2位。自然増減率は-0.71%で全国41位、社会増減率は+0.01%の転入超過で全国14位だった。
都市圏
5万人以上の都市雇用圏(2015年国勢調査時点の10%都市圏)
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島根県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 島根県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 島根県
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
島根県(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
![]() | 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
島根県人口動態
1960年(昭和35年)時点では全国39位の人口規模であったが高度経済成長期の人口流失は非常に大きく、1975年には鳥取県に次ぐ人口の少ない県(46位)となり現在まで約半世紀に渡って人口順位に変動は見られない。現在においても人口流失は止まっていないが1960年代は年間15000人の社会減少となっていたが,近年は1500人前後に収まっており、人口減少こそ続いてはいるが自然動態が年々悪化している中で、総人口は高度経済成長期のような年間1万人を超えるような大幅な人口減少は見られない。全国においても中下位の人口増加率と健闘している。
高知県との人口推移比較
島根県・高知県の二県は人口規模,面積,人口密度,高齢化率も似ている。人口規模の近い高知県と比べて島根県の人口動態を考察する。1960年(昭和35年)時点では3.5万人程島根県が高知県の人口を上回っていたが、2005年(平成17年)時点では反対に高知県が約5.4万人島根県の人口を上回るまで差が広がった。ただ近年の高知県の人口増加率は全国45位前後で推移しているのに対して、島根県の人口増加率は30位前後で推移しており2025年5月現在の人口では1.2万人程まで高知県との人口差は縮小している。長年46位の人口順位が続く島根県だが、近い将来、高知県の人口を再び上回ると予測されている。
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政治
県政
財政
国政
→詳細は「衆議院小選挙区制選挙区一覧 § 島根県」、および「鳥取県・島根県選挙区」を参照
衆議院の小選挙区が2。参議院では、島根県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年の第24回参議院議員通常選挙より鳥取県選挙区と合区され、鳥取県とともに1区を構成する合同選挙区が創設された。
経済・産業
要約
視点
農業

全国的な流れと同様に島根県においても農業の衰退が進んでおり、島根県の総農家数・耕地面積・農業生産額も年々低下している。農業生産額の割合では、米が全生産額の33.3%で最も多く、野菜が16.2%、乳用牛が13.7%、肉用牛が13.6%を占めている[19]。特産品としては米(仁多米、きぬむすめなど)、ブドウ、西条柿、牛肉、メロンなどがある。付加価値が高く、観光との相乗効果が見込める薬草やハーブの栽培にも力を入れている[20]。
水産業
日本海に面しているため漁業が盛んに行われており、総漁獲量(2011年)は15万3,000トン[22] で中国・四国地方で最も漁獲量の多い県である。
2010年の調査では、ベニズワイガニの漁獲量が5,163トンで全国1位、ブリ類の漁獲量が17,963トンと全国1位、アジ類の漁獲量が33,432トンで全国2位を誇っている[23]。 また、宍道湖などで採れるしじみは、2014年(平成26年)には3622トンで4年ぶりに日本一の漁獲高となった[24]。
建設業
島根県では、建設事業者数は4,657社で全事業者数の約12%、従業員数でも32,723人と全産業の従業員数の約11%を占めている[26]。全国では、建設業の全産業に占める事業所数は9.7%・従業員数は6.9%[27] となっており全国と比べても島根県でも建設業が占める割合が大きくなっている。
特に公共工事の比率は66.94%と高知県に次いで全国2位[28] と高く建設業において公共事業が大きな役割を担っている。しかし近年の国や県・市町村の財政難などから公共事業は減少しており、建設業を取り巻く環境は厳しくなっている。
製造業
島根県の製造品出荷額等は9,840億円(2010年)[29] であり鉄鋼が1,578億円(2010年)[29] と最も高い割合を占めている。江戸時代から明治時代にかけてたたら製鉄が栄え、古くからの鉄鋼技術を背景に島根県では鉄鋼産業が盛んに行われておりプロテリアル(旧・日立金属)や東洋製鉄、NTN鋳造など鉄鋼関連の企業が多数集積している。この他、情報通信機械が1,565億円、電子部品・デバイスが1,295億円と続いている[29]。
情報通信機械の分野では出雲市に本社を置く島根富士通がノートパソコンの生産拠点を構えており、出雲市の本社工場では年間200万台のノートパソコンが生産されている。
製造業出荷額等は2010年の統計データでは、島根富士通や島根島津・出雲村田製作所などが本社・工場を構える斐川町(当時)が2,634億円[29] と県内の市町村でトップとなっている。なお、斐川町は2011年に出雲市と合併しており、2010年時点の統計では、出雲市が3,818億円が製造業出荷額等でトップとなっている[29]。
小売業
島根県の小売業の年間商品販売額は1999年の約8,463億4,700万円、事業所数は1994年の12,018事業所、従業員数は2002年の50,546人をピークにそれぞれ年々減少傾向にある[30]。2009年現在では、年間商品販売額は約7317億5,300万円事業所数は8,952事業所、従業員数は45,628人となっている[30]。
百貨店(日本百貨店協会に加入している店舗)は存在しない[31]。2024年1月14日まで一畑百貨店松江店(松江市)が営業していたが、同日をもって閉店したことにより「百貨店ゼロの県」となった[32][33]。
大型スーパーでは、イオンモールなどのイオングループ複数社や、広島県のイズミなどが島根県内で総合スーパー(GMS)やショッピングセンターなどを展開している。出店が進む一方で、競争が激化し2000年代にはマイカル(現:イオンリテール)の浜田サティ (現在のゆめマート浜田)や出雲サティ、ジャスコ(現:イオンリテール)の浜田店(現在はトライアルが出店)や平田店(現在はショッピングセンターViVAが出店)などが閉店している。
地場スーパーには、みしまや、ふくしま、フーズマーケット ホック、グッディー、キヌヤ、ラピタといった店舗がある。
観光業


島根県の観光入込客延べ数は、年間33,158千人(2015年)[34] となっている。観光入込客延べ数変動の要因は尾道松江線の全線開通や松江城が国宝に指定されたこととなっている[34]。
市町村別の上位では、出雲市が12,495,489人と最も多く、次いで松江市が 10,061,918人、浜田市が 1,825,247人となっている[34]。観光施設では、出雲大社が607万6千人と最も多くの観光客を集めている[34]。
県外からの観光客入り込み割合は、広島県が22.9%、近畿地方が18.7%、関東地方が13.1%となっている。中国地方4県の合計では、県外観光客入込客数全体の5割近くを占める[34]。
島根県の観光客による観光消費額は1,367億円(平成27年度)と推定されており、観光消費額が県内に及ぼす経済波及効果は1,634億億円と推定されている[34]。
県内に本社を置く主要企業
- サービス(その他)
- テクノプロジェクト(松江市)
- ネットワーク応用通信研究所(松江市)
- 卸・小売業
- みしまや(松江市)
- ウシオ(グッディー)(出雲市)
- フーズマーケット ホック(安来市)
- キヌヤ(益田市)
- ジュンテンドー(益田市)
- その他
県内に拠点事業所を置く主要企業
指定金融機関など
- 山陰合同銀行(ごうぎん)
- 島根県農業協同組合(JAしまね)
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生活・交通
要約
視点
警察
海上保安庁
第八管区海上保安本部の管轄にある。
- 境海上保安部(鳥取県境港市)
- 隠岐海上保安署(島根県隠岐郡隠岐の島町)
- 浜田海上保安部(島根県浜田市)
交通
空港
鉄道
県内一帯で普通列車の本数は毎時1本以下となっており、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。
- 現行の鉄道路線
- 廃止された鉄道路線
- 建設が凍結された鉄道路線(未成線)
バス事業者
島根県内を運行する路線バス事業者(リムジンバス、デマンドバス、自治体バスを除く)。
道路
- 高速道路
- 一般道路
フェリー・高速船
医療・福祉
→詳細は「Category:島根県の医療機関」を参照
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教育
大学
国立大学
公立大学
なお、島根県内に本部を置く私立大学・短期大学は存在しない[35]。かつては島根中央女子短期大学が存在した。他都道府県に本部を置く大学のキャンパスはある。
通信制大学
私立
- 放送大学 島根学習センター(松江市)
短期大学
公立
- 島根県立大学短期大学部(松江市)
私立
- 大阪健康福祉短期大学 松江キャンパス・安来キャンパス(松江市・安来市)
高等専門学校
国立
- 松江工業高等専門学校(松江市)
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
学校教育以外の施設
農業大学校
- 島根県立農業大学校(大田市、農業者研修教育施設)
職業能力開発短期大学校
高等技術校
- 島根県立東部高等技術校
- 島根県立西部高等技術校
図書館
博物館
美術館
マスメディア
新聞
- 『山陰中央新報』(松江市)
- 『島根日日新聞』(出雲市)
- 『日本海新聞(鳥取県)、『中国新聞』(広島県)、『産経新聞』(大阪府)も一部地域で販売されている。
- 『毎日新聞』『日本経済新聞』は東部(出雲、隠岐)では大阪本社、西部(石見)では福岡県の西部本・支社で発行された版が販売されている。そのため同一県内でありながら、同じ新聞でも記事の内容に違いがある(旅行会社の広告の場合、東部では関西国際空港や伊丹空港、新大阪駅の出発が多いのに対し、西部では福岡空港や博多駅の出発が多くなっている)。なお、『朝日新聞』は2008年(平成20年)に全県下が大阪本社発行版の販売に変更されており、『読売新聞』も2009年(平成21年)6月1日から全県下で大阪本社発行版の販売に切り替わった。
情報誌
- 『山陰ウインク』(松江市)
放送
テレビ局・ラジオ局
- NHK松江放送局(松江市)
- さんいん中央テレビ (TSK) - FNN:フジテレビ系列(松江市)
- エフエム山陰(V-air、松江市)
- 鳥取県の山陰放送(BSS。TBS系列)、日本海テレビ (NKT、日本テレビ系列)(テレビは松江がメイン送信所[注釈 4])を含め、山陰準広域圏を形成している。島根県にはフジテレビ系以外の民放テレビ局はない。更に山陰地方には ANN(テレビ朝日)系列局やTXN(テレビ東京)系列局もないため、ケーブルテレビ経由で県外の系列局を視聴する形となっている[注釈 5]。テレビ朝日系に関してはキー局のテレビ朝日が松江支局を島根県の取材拠点として設置。益田市・鹿足郡を除く県西部については広島ホームテレビ、益田市・鹿足郡については山口朝日放送が取材担当している。
ケーブルテレビ局
→「Category:島根県のケーブルテレビ局」を参照
コミュニティFM
島根県の電波事情
島根県は平地が少なく起伏に富んだ地形の地域が多い。そのため、テレビやラジオの受信環境は必ずしも安定しているとは言えない。そのため、共聴設備やケーブルテレビ経由での受信が必須となる地域も多い。また、朝鮮半島に近いこともあって韓国などの電波との混信も少なくなかったが、地上デジタルテレビ放送やケーブルテレビ網の整備、FM補完中継局の開始とともに解消されつつある。
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通信社
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文化・スポーツ
方言
食文化
→「Category:島根県の食文化」も参照
住文化
伝統工芸
- 伝統工芸品
→詳細は「日本の伝統工芸品の一覧 § 島根県」を参照
スポーツ
- チーム
→「Category:島根県のスポーツチーム」も参照
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観光
→詳細は「島根県の観光地」を参照
文化財
→詳細は「島根県指定文化財一覧」を参照
祭事
→詳細は「Category:島根県の祭り」を参照
郷土芸能・民謡
→詳細は「Category:島根県の音楽」を参照
島根県を舞台とした作品
→「島根県を舞台とした作品一覧」を参照
島根県出身の人物
→詳細は「島根県出身の人物一覧」を参照
脚注
関連項目
外部リンク
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