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松浦慶斗
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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松浦 慶斗(まつうら けいと、2003年7月1日 - )は、宮城県石巻市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
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経歴
プロ入り前
石巻市立門脇小学校1年生の時に門小ガッツスポーツ少年団で野球を始めるが[2]、同時期に東日本大震災で被災し、2年生の終わりに両親の故郷である北海道旭川市に転居[3][2]。旭川市立新富小学校に転校すると新富野球少年団に入部する[2]。6年生の時には、北海道日本ハムファイターズジュニアに選抜された[2]。
旭川市立明星中学校に進学すると、旭川大雪ボーイズに所属[2]。1年生の時に12歳以下の国際大会であるカル・リプケンワールドシリーズに日本代表として出場し世界制覇に貢献[4]。中学3年時には札幌ドームで開催された「FIGHTERS BASEBALL CHAMPIONSHIP U-15」で優勝した[2]。
2019年、大阪桐蔭高校に進学。1年秋からベンチ入りを果たすと、2年夏の交流試合と3年春のセンバツ、夏の甲子園に出場[2]。2年秋からはエースナンバーを背負った。高校の同期には池田陵真、2学年上には中田惟斗、1学年上には仲三河優太、1学年下には松尾汐恩、2学年下には前田悠伍がいる[5]
2021年10月11日に行われたドラフト会議にて、地元の北海道日本ハムファイターズから7位指名を受けた[6]。11月16日、契約金2000万円、年俸520万円で仮契約を結んだ(金額は推定)[7]。背番号は55[8]。
日本ハム時代
2022年は、上半身のコンディション不良もあり体作りに励んだ後、8月17日のイースタン・リーグの東京ヤクルトスワローズ戦(鎌ヶ谷)で実戦初登板し、1回2失点だったが最速150km/hを記録した[9]。9月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)で一軍デビューを果たし、5回表に3番手としてプロ初登板。1回を投げて2失点し敗戦投手となるが、自己最速となる153km/hを計測した[10]。一軍出場はこの1試合のみで、二軍では5試合に登板し、5回を投げて防御率7.20という成績だった。
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選手としての特徴・人物
高校時代に最速150km/hを記録した球威のある直球が武器の左腕[11]。変化球はスライダー、カーブ、フォークを投げ込む[12]。
下半身の筋力に自信があり、仮契約後にヒップを測ったところ、115cmであった[13]。
愛称は「ビンドゥン」[14]。
父・吉仁も元球児であり、北海高校で2度(1988年春、1989年夏)甲子園へ2度出場を果たしている[4]。北海高校卒業後は、社会人野球チームの日本製紙旭川硬式野球部に進み、その後同部の統合先である日本製紙石巻硬式野球部で引退。引退後は同野球部の監督を務めていた[15]。
福岡ソフトバンクホークスに所属していた古谷優人はいとこにあたる[16][4]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2024年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 初登板:2022年9月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(札幌ドーム)、5回表に3番手で救援登板、1回2失点で敗戦投手
- 初ホールド:2024年8月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス16回戦(楽天モバイルパーク宮城)、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点[17]
- 初奪三振:同上、6回裏に阿部寿樹から空振り三振[17]
背番号
- 55(2022年 - )
登場曲
- 「交響曲第9番『新世界より』第四楽章」アントニン・ドヴォルザーク (2022年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
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