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板垣公一

日本の実業家、天文家 ウィキペディアから

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板垣 公一 (いたがき こういち、1947年11月12日 - ) は、山形県山形市在住の日本実業家、アマチュア天文家。株式会社豆の板垣代表取締役社長。アマチュア天文家としては、新天体ハンター・特に超新星発見数の国内最多記録・世界2位の記録を持つ、世界有数の超新星ハンターとして知られる。

人物

要約
視点

日本大学山形高等学校卒業後[1]、栃木県の菓子会社で修行後、家業に就く。株式会社豆の板垣は「板垣のピーナッツ」で山形県内で良く知られており、同社が豆菓子のミニパックを、国内業界で最初に取り入れたのは板垣の発案である[要出典]

山形市の蔵王山中にある私設板垣天文台の他に、冬場の山形の悪天候を避けるため栃木県塩谷郡高根沢町に山形から遠隔操作が可能な第2観測所を所有している。

初期の彗星捜索

池谷薫による池谷彗星 (C/1963 A1) の発見に刺激を受けて彗星捜索を始め、1968年4月25日に多胡・本田・山本彗星イタリア語版 (C/1968 H1) を発見した。この彗星は急に明るくなったため多くの独立発見者がいた[2][3]中で、板垣の発見は最初だったが、報告が遅れたため、彗星に板垣の名は付かなかった。その後の捜索では成果が上がらなかった。

また、1994年7月のシューメーカー・レヴィ第9彗星木星衝突前後から太陽系小天体の地球衝突が問題となり、NASA等の公的機関による彗星・小惑星の積極的な探索が行われるようになったことから、アマチュア天文家による第一発見は稀なものとなった[2]。板垣自身も「木星に彗星が突入した「あの大事件」を境にアマチュアが彗星を発見するのはとても困難になりました。」と語っている[4]

超新星ハンターとして

同県内河北町のアマチュア天文家岡崎清美の影響を受け、[要出典]2000年から主な捜索対象を超新星に切り替えた。超新星の観測に重点を移して以降の活躍は驚異的なものであり、2015年末時点での個人での発見数は、世界歴代5位[5][6][注 1]となった。 2016年から超新星の発見の認定システムが変更されて以降[7]、研究機関による捜索ペースが急上昇してからもハイペースで板垣による発見が続き、2023年1月時点では個人での発見数は世界2位となっている[5][8][注 2]。また、これまで日本人が発見した超新星の半数以上が板垣によるものである[5]

2006年に発見した超新星SN 2006jcは、自身が2004年に発見した増光天体と同じ星であることが明らかになり、同一天体が異なる二度の爆発を起こすという初めての実例で、恒星の進化に関するモデルの見直しに大きな影響を与えた。この発見による研究論文は、九州大学大学院の山岡均助教と共著の扱いで英国の学術誌「ネイチャー」に掲載された。世界的に高く評価されたこの発見がきっかけとなり、2007年8月30日、山形大学より同大学初となる名誉博士号を授与された[9]

2010年には広島大学宇宙科学センターと東京大学数物連携宇宙研究機構の研究チームにより、2005年に発見した超新星SN 2005czが、質量の小さい、いわゆる「軽い星」の爆発であったことが明らかになった。本来、質量が太陽の8-12倍の「軽い星」が超新星爆発を起こす恒星の中でも最も多いと考えられていたが、これらに由来するはずのスペクトル波を示す爆発は発見されてこなかった。理論上、最も多く存在するはずの爆発が全く観測されないことで、天文学理論そのものに影響を与えかねなかった。この研究によって、現在の理論が大筋で正しいことが検証された。これまでに同種の超新星が発見されていなかったのは、SN 2005czの観測で確認された、予想以上に暗いこと、急速に減光すること、が原因の一部だろうと考えられている。この研究論文は「ネイチャー」に掲載され、板垣も発見者として連名されている[10]

2011年11月8日には、NHK BSプレミアムの宇宙番組「コズミックフロント」で、1時間にわたって板垣の超新星ハンティングを取り上げた内容が放送されている[11]。タイトルは「超新星を見つけ出せ! Itagakiの挑戦」であった[11]

2014年12月13日に、くじら座の銀河 NGC 309 に通算100個目となる超新星の候補天体を発見した。12月16日にはそのスペクトル線からIb型の超新星であることが確認された[12]。このニュースを伝えるAstronomer's Telegram英語版の末尾には、100個目の超新星発見を祝福するメッセージが添えられた[12]

2015年12月7日には一晩で30分間程の間に、3個の超新星を発見した。これで同年だけでの超新星発見数は14個となったが、1年間でなく総計でも14個以上の超新星発見記録を持つ日本人は、板垣自身の他は串田麗樹(1991年から2004年までの14年間で計14個発見)のみである。

超新星以外の発見

超新星以外にも、彗星新星等の新天体も数多く発見している。

一度は諦めた彗星捜索も、金田宏の助力を得て2008年から再開し[13]、同年9月10日、わし座みずがめ座の境界付近で13等級の彗星を発見した。この彗星は、110年以上の間見失われていたジャコビニ彗星 (D/1896 R2) の再発見であることが専門家の指摘により判明した[14]。さらに2009年3月14日には新彗星 (C/2009 E1) をくじら座に発見した。板垣彗星と命名されたこの彗星は、工藤・藤川彗星 (C/2002 X5) 以来約6年ぶりに国内で発見された新彗星となった[15]

2010年1月5日にりょうけん座のNGC 4214近傍にて超新星の候補天体を発見し、SN 2010Uとして一時は超新星と認められたが、後に超新星ではなく、高光度青色変光星が爆発的な増光現象を起こした擬似的超新星であることが判明した[16]。2010年5月31日に発見し、一時は超新星と認められたSN 2010dnも、後にSN 2010Uと同種の現象であることが判明した。

2015年には国立天文台の田実晃人、大阪教育大学名古屋大学京都産業大学などの研究チームにより、2013年に発見したいるか座新星がリチウムを大量に生成していることが確認された。リチウムはビッグバン時に生成されるとともに、恒星のなかや新星、超新星、星間空間などさまざまな場所でつくられると推定されており、新星爆発はその有力候補の1つとして挙げられていたが、今までその証拠がなかった。今回の観測によって強固な裏付けが得られ、ビッグバンから現在に至る物質進化モデルが大枠で正しいことが示されることとなった[17]

2023年1月8日にNGC2713に15.7等級の超新星を発見したと報告し、一時はAT 2023cyとして登録されたが、翌日板垣によって超新星ではなく小惑星(29934) 1999 JL46だったと誤報告として訂正されている。なお同じ夜に超新星SN 2023crも発見しており、こちらは本物の超新星であることが確認されている[18]

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受賞歴

その他、毎年日本天文学会より天体発見賞を受賞している。

発見した新天体の一覧

要約
視点

超新星

発見した超新星の一覧(独立発見を含む)[6][5]

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新星

発見した天の川銀河内の新星の一覧[22][23]

さらに見る 番号, 名前 ...

系外新星

発見した天の川銀河外の新星の一覧 (独立発見を含む) [24][25][26][27]

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脚注

外部リンク

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