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板垣好樹
日本の俳人 ウィキペディアから
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板垣 好樹(いたがき よしき、1933年〈昭和8年〉8月20日[1] - 1993年〈平成5年〉6月26日[1])は、日本の俳人。群馬県伊勢崎市生まれ。本名・好昭[1]。月刊『俳句人』編集長(1973 - 1975年)、第6回新俳句人連盟賞受賞。
略歴
1933年、群馬県伊勢崎市に生まれる[1]。19歳で結核に罹り、国立療養所大日向荘(現在の国立病院機構西群馬病院)で療養の日々を送る[1]。1954年、療養所で俳句を知り、翌年古沢太穂の結社「道標」に入会、同時に太穂の推薦で新俳句人連盟の会員となる[1]。1956年に療養所を退所、印刷工となり、1962年には現代俳句協会の会員となる[1]。1971年、新聞『赤旗』俳壇時評、翌年日曜版俳句欄選者、1973年には岩間清志の死を受けて月刊『俳句人』編集長となる[1]。1978年、「はらからの花」で第6回新俳句人連盟賞を受賞[1]。1979年には「民衆詩としての序説」が第7回新俳句人連盟賞評論賞佳作、1981年には「赤城さかえの一石路批判」が同じく第9回新俳句人連盟賞評論賞佳作となった。1982年「道標」同人賞を受章[1]。
若いころ学校に行けず、無学の中で這い上がった経験から、山谷労働者の支援と俳句指導に尽くした。
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評論
脚注
参考文献
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