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林家延玉

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林家 延玉(はやしや えんぎょく)は、落語家名跡

初代

概要 生年月日, 没年月日 ...

初代 林家延玉(生年不詳 - 1874年)は、本名不詳。

文化文政ころの生まれ、初め初代桂文吾の門下で、三光齋(または桂)源吾を経て、1846年に2代目文吾襲名。講談師の門人となった後、初代林家正三(正翁)の門下で林家圓玉。後に上京し、三遊亭圓生一門の狂言亭圓玉との混同をさけるため、安政時代には三光齋延玉から林家延玉と改名。帰阪後は初代桂文枝の桂派に対抗して川喜派の頭取になった。

音曲を得意とし、「とっちりとん」や「えんかいな節」などの替唄を作り、唄本や刷り物残し発表した。

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2代目

概要 生年月日, 没年月日 ...

2代目 林家 延玉(? - 1886年5月17日)は、本名不詳。

幕末の生まれ。1875年ころから初代桂文枝の門下で3代目文吾を襲名。

1880年夏に林家延玉を名乗る。同年秋に再度、文吾になるが、1886年3月に延玉に復帰。また寄席によっては文吾、延玉を使い分けることもあった。あだ名の「山寺」は、大阪市中央区清水町の自宅で「山寺」という看板を掲げて酒商を営んでいたためらしい。

1880年8月、落語取締役に当選。落語研究会を企画したりと活躍したが、初代桂文團治4代目林家正三と同じく、流行のコレラで死去。墓所は大阪市天王寺区上本町9丁目の壽法寺(別名・紅葉寺)。

弟子

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脚注

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