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林正男 (海軍軍人)
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林 正男(はやし まさお、1880年(明治13年)6月16日[1] – 1965年(昭和40年)7月27日[1])は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍少将。衆議院議員。

経歴
名古屋市出身[2]。竹田英一の四男として生まれ、林清之助の養子となった[3]。1904年(明治37年)に海軍機関学校を卒業し、海軍少将に至った[2]。その間、横須賀海軍航空隊教官、同機関長、霞ヶ浦海軍航空隊機関長・教官、海軍航空本部造兵監督官、艦政本部造兵監督官などを歴任した[2]。
1929年(昭和4年)に予備役に編入されると、大同製鋼株式会社顧問、岡本工業株式会社顧問、高野精密機械工業株式会社顧問、名古屋螺子製作所顧問、中央発条製作所顧問、柴田鉄工所顧問、太洋製作所株式会社社長を務めた[2]。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。1945年3月11日、衆議院の院内交渉団体の護国同志会結成に参加。1946年(昭和21年)、公職追放となった[4]。
栄典
脚注
参考文献
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