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柳生宗章

安土桃山時代の武士・剣術家 ウィキペディアから

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柳生 宗章(やぎゅう むねあき)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将剣豪柳生宗厳の四男で柳生宗矩の兄。通称は五郎右衛門。

概要 凡例柳生 宗章, 時代 ...

略歴

文禄3年(1594年)に弟・宗矩と共に徳川家康に召されたが仕官せず、武者修行の末に小早川秀秋に召抱えられる。関ヶ原の戦いでは秀秋に近侍して警護の任にあたった。その後小早川家が改易されると、中村一忠の執政家老横田村詮に乞われて伯耆国米子藩に客将として仕えることになる。

しかし、村詮の才覚を妬み出世を目論む一忠の側近の安井清一郎、天野宗杷らの陰謀により、慶長8年(1603年)11月14日、城内で催された慶事において、安井らに唆された一忠によって村詮は謀殺された。これに対し、横田一族を支持する家臣は憤りを感じ、飯山に立て篭もると、宗章も義憤と横田への恩義から加勢した。隣国の堀尾吉晴の助勢を得た一忠により鎮圧され、その際に宗章は吹雪の中で数本の刀を差して敵兵18名を切り倒すなど奮戦するが、最後は刀折れて壮絶な戦死を遂げた。

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伝柳生宗章の墓(飯山城跡、鳥取県米子市)

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