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柿崎守忠

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柿崎 守忠(かきざき もりただ、1900年明治33年)11月5日[1] - 1977年昭和52年)8月[2])は日本政治家青森県青森市長。

概要 生年月日, 出生地 ...

来歴

青森県青森市出身[2][3]。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)を経て[2]1933年東京高等師範学校を卒業する[2][3]。卒業後は青森中学、青森県女子師範学校各教諭、県視学官、青森市立高等女学校(現・青森県立青森中央高等学校)、青森中学、青森青年師範学校各校長などを歴任した[2][3]

1945年7月28日、青森市長に就任[2]。市長就任当日に青森空襲が起こり、市内は焦土と化した[2]。翌月に終戦を迎え、青森市に米軍が進駐、柿崎は進駐軍との折衝に当たらなければならなかった[2][3]。市役所は空襲で焼失し、市公会堂を庁舎と使用していたが、進駐軍に接収された。そのため、まず市役所建設に着手した[2]

1946年に市長を退任[2]。退任後は青森市議会議員、青森県教育委員、青森信用金庫(のち、あおもり信用金庫、現・青い森信用金庫)理事長などを務めた[2]。1977年に死去した。

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脚注

参考文献

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