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桂ざこば (初代)

日本の落語家 (1866-1938) ウィキペディアから

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初代 桂 ざこば(かつら ざこば、1866年4月25日[要出典] - 1938年9月19日[1][注釈 1])は、明治から昭和にかけての上方落語落語家。本名: 小倉 幸次郎(おぐら こうじろう)[1][注釈 2]。芸歴の後半には伝統的なスタイルから大きく逸脱した演出を取り入れた。

概要 本名, 生年月日 ...
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来歴・人物

最初は3代目笑福亭松鶴の門人で「光蝶」を名乗るも、まもなく「園馬(または圓馬)」に名を改めて旅回りをした[1][2]1897年[要出典]三遊亭柳生門下で柳吉を名乗る[1]。。次に桂三之助2代目桂文三門人)門下で「洗湯亭さん助」となり[1]広島幇間同様の暮らしをする[要出典]1905年4月[要出典]3代目桂文三門下で「三輔」を名乗り、桂派に所属した[1][注釈 3]しかし、文三が桂派を離脱すると、三輔もともに離脱。上京し柳派に加入。1910年5月、帰阪して互楽派に加入。[要出典]1912年に突然落語を廃業し、大阪を離れて古物商を営むが、結局、事業に失敗して再び帰阪した[1]。だがすでに1917年に弟子の助六が2代目三輔を襲名していたため、1920年2月[要出典]初代ざこばを名乗り復帰した[1]。4代目桂文三が亡くなってからは5代目文三を勝手に名乗っていた時期もある[要出典]吉本興業の寄席に出演したが1931年ごろに引退した[1]

三輔時代は桂派の中で異色の爆笑派として知られ、噺家の間でも人望ある人物だった[1]。ざこば襲名の後は、新作を手がけ、「ゼネレイト」「インプレッション」「ヴァージン」などの英語を噺に取り入れたり、あるいは立ったまま落語を演じたりと、新しい試みを続けた[1]。寄席にも電気自動車で通う先進的な気風に富んだ人物だったが、往時の人気は取り戻せなかった[1]。『古今東西落語家事典』は「大正時代の観客には新しすぎたらしく」とその理由を推測している[1]

得意ネタは『宿替え』『大和橋』『三十石』『口入れ屋』など[1]。『大和橋』や新作落語SPレコードに録音されている[1]

引退後は近所の妙見堂に毎日詣でる生活だったが、自殺を遂げたとされる[1]享年72[1]。法名は華辨院超凡日行信士[1]

墓は谷町9丁目の海宝寺にあるが、『古今東西落語家事典』によると4つの三角柱を結合した墓石で正面に「桂ざこばの墓」、また3人の妻(ハナ・シズ・ナミ)の名が刻まれているという[1]

2代目ざこばは、襲名に際して初代の墓参りを行っている[3]

弟子には桂助六桂せんば、桂三玉[注釈 4]等がいる[1]

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脚注

参考文献

関連項目

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