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桂文三

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桂文三
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桂 文三(かつら ぶんざ)は、上方落語名跡。本名跡は約90年絶えていたが、桂つく枝が2009年5月16日に5代目を襲名した[1]

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結三柏は、桂文枝一門の定紋である[注釈 1]
江戸
上方

概要 本名, 生年月日 ...

4代目 桂 文三(かつら ぶんざ、1886年 - 1921年10月10日[3])は、明治大正時代の上方落語の落語家。本名: 高田卯之助[3]

3代目文三の実子[3]18歳の時、父の門下であった3代目桂扇枝を頼って密かに神戸寄席に出るが、間もなく父の知るところとなり、正式に父のもとに入門し桂小文吾を名乗る。父の方針により京都で修行したが、前座時代は真面目で「模範前座」と言われるほど器用であり、将来を嘱望された。1904年に小文三と改名して大阪の父の元に戻り[要出典]1921年4月に4代目文三を襲名するも、その半年後に脱腸の手術が失敗して[要出典]急逝[3][注釈 3]。享年35[3]

初代桂雀三郎(後の2代目桂小文枝)や初代桂三輔(後の初代桂ざこば)らとともに桂派の若手として活躍するが、明治末期に父ととも三友派に移籍した[3]。『名古屋甚句』や『オッペケペー』などの音曲も得意とした[3]。音曲や小噺をSPレコードに録音している[3]

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脚注

参考文献

関連項目

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