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桂文紅 (4代目)
落語家 ウィキペディアから
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4代目 桂 文紅(かつら ぶんこう、1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、上方落語の落語家(上方噺家)。出囃子は『お兼晒し』。本名:奥村 須賀男[1]、もしくは奥村 寿賀男[2][3]。
来歴
立命館大学に通いながら電線会社に勤務していた時に、組合の文化祭で落語を演じ、後に素人コンクールで2位となった[2]。上方落語の世界初の大学卒業の噺家だった[2]。
1955年(昭和30年)3月、4代目桂文團治に入門[1]。桂文光を名乗る[1][2]。
1959年2月、4代目桂文紅を襲名[1]。1970年代前半に、3代目桂文我と二人会を催し、「文文コンビ」と称された[3]。
上方落語においては、「上方落語四天王」(6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂米朝、3代目桂春団治)とその弟子たちの中間の世代であった[4]。
50代からは尼崎市の「でやしき寄席」「きふね寄席」を中心に活動し、最後の高座は死去の年の1月28日、「でやしき寄席」での『胴取り』だった[3]。
人物
持ちネタは『鬼あざみ』『島巡り』『浮世床』『初天神』『天神山』『堀川』『袈裟御前』など[3]。また、「青井竿竹」のペンネームで執筆活動もおこなった[3]。新作では『ぜんざい公社』をアレンジした一人に挙げられている[5]。
著書
- 4代目桂文我 編集『若き飢エーテルの悩み 桂文紅日記 清く、正しく…面白く』青蛙房、2009年12月、ISBN 4790502872
CD
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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